わたしには「もしかしたら過労死するかもしれない」と感じた経験があります。仕事が終わり自宅に深夜の2時に帰宅できただけでも「やった!4時間も寝れるぞ!」と喜んでいた時代がわたしにもあったのです。
当時のわたしは自分の戦略コンサルタントという仕事に誇りをもっていたし、プロフェッショナルとしての感情の働きについてもうまくコントロールしているつもりでした。
未来に希望をもち、その実現のためであれば苦難にも耐える・・・・という考え方は、日本では「昭和の発想(笑)」とバカにされるかもしれませんが、若かりし頃のわたしは「根性」でなんとかなると心のどこかで本気で信じていたのです。
しかしそれだけでは足りない・・・・「気合も大事だが、気合だけでは限界がある」ということに気づいたのです。
世の中には自分にはどうしようもできない「構造的な問題」というものがあり、その構造的な問題を理解しないかぎり搾取され続けるということが本当に現実としてあり、そもそも自分が「搾取される側」であることを本当に理解したとき、「どうにかしなきゃ!」と本気で決意したのでした。
では「自分にはどうしようもできない構造的な問題」とは、どういうものでしょうか?
ピンとこない人がほとんどだと思いますので、今回は「黒人差別」の問題について日本のメディアが教えてくれないことを5分で解説した後に、それがわたしたちにとってどのような意味があるのかについてもお伝えしたいと思います。
統計によればアメリカの人口は世界の約5%ですが、受刑者の数は世界の約25%を占めています。なぜ?アメリカには受刑者が多いのでしょうか?
ズバリその答えは「黒人男性を大量に逮捕しているから」です。アメリカにおける黒人男性の割合は6.5%ですが、アメリカの受刑者の中で占める割合は40.2%です。
そう。黒人男性は白人男性よりも圧倒的に刑務所に入れられやすいのです。白人男性が生涯刑務所に入る割合は「17人に1人」である一方で、黒人男性が生涯刑務所に入る割合は「3人に1人」という割合です。
実は・・・・・現在アメリカで監視下に置かれている黒人男性は、1850年代の奴隷よりも多いのです。そう。。。実質的に、黒人男性は政府による「奴隷」として扱われているのです。
あなたは「そんなわけがない!アメリカには立派な憲法があるじゃないか?」と思うかもしれません。しかしアメリカ合衆国憲法ですら完璧ではなく、「憲法の穴」が政治的に悪用され続けてきたという歴史的な事実があります。
アメリカ合衆国憲法修正第13条には「奴隷制と不本意な隷属を、米国内では禁止する」とあります。しかし「修正第13条の隷属の禁止は、犯罪者には適用されない」という例外規定があるのです。アメリカの政治家はこの例外規定を利用して、黒人を合法的に実質的な奴隷にすることに成功しています。
ここで簡単に歴史を振り返りましょう。奴隷制自体はたしかに廃止されました。しかし奴隷制が廃止されても労働力に対するニーズがなくなるわけではありません。そこで『受刑者の貸出制度』により合法的に黒人を労働力として搾取するようになりました。
その後「受刑者貸出制度」は廃止されるものの、今度は「人種隔離政策」によりアフリカ系アメリカ人を二級市民にとどめることが合法的に行われていました。
それに反対したのが1950年代と60年代初期の公民権運動であり、キング牧師の演説における名言「わたしには夢がある( I have a dream)」もその文脈の中にあります。
公民権運動により黒人は『参政権の保障』を獲得しました。しかしアメリカでは黒人の選挙権は実質的に奪われており、ニクソン大統領やレーガン大統領が政策として主導しました。
ニクソン大統領は「麻薬戦争」という言葉を生み出して「黒人は手のつけられない野獣である」というイメージをメディアで流布しましたし、レーガン大統領の時代には黒人の大量逮捕と大量投獄を実現しました。
結果、黒人が再び犯罪者として実質的に「奴隷」扱いされる時代が到来したのです。あなたは「犯罪者と奴隷では扱いが違うでしょ?」と思うかもしれません。しかしそうとはいえないカラクリがあるのです。
アメリカの刑務所は行政サービスではなく、行政から委託された民間刑務所(Corrections Corporation of America, CCA 等)が制度を運営しています。「刑務所を民間の会社が運営している」という時点で、日本人は理解ができないかもしれませんが、要するに刑務所はアメリカにおいては「巨大産業」なのです。
刑務所にはさまざまなベンダーが関係しています。受刑者の食事、受刑者への医療サービスなどはもちろん、受刑者が刑務所の外にいる家族を話す通信サービスまで割高に設定されています。
行政からさまざまな業務を委託された民間業者は儲かるわけです。そうすると富裕層も儲かります。なぜならば富裕層は刑務所ビジネスに関係する民間企業の株式を購入することができるからです。
政府が黒人の大量逮捕と大量投獄を続ける以上、刑務所ビジネスは確実に成長産業であり続けることができ、その利権に群がる人たちも確実に儲けることができる仕組みがもうすでに出来上がっているわけですが、驚くべきことに、儲けのカラクリはそれだけではありません。
実は民間企業に収容された犯罪者は低賃金で奴隷のように働かされているのです。例えば女性の下着メーカーとして有名なブランド『ヴィクトリアズ・シークレット』は、受刑者による超・低賃金の労働欲により利益を上げていました。
これまでの話の要点だけをシンプルにまとめておきましょう。
黒人を軽微な罪で逮捕し刑務所にぶち込むことで、選挙権を奪います。選挙権を奪えば、政治的に白人に有利な政策を推進することができます。
黒人を刑務所にぶち込み続ければ、民間刑務所の制度にぶらさがっている企業は確実に成長し続けることができ、富裕層は株式は投資により利益を上げることができます。
黒人を刑務所にぶち込み続ければ、黒人を現代の奴隷として扱うことができるため、企業は安い労働力を確保し続けることができます。
そう。白人が黒人(やヒスパニック系アメリカ人)を搾取する構造は、アメリカという国が建国されてから現代にいたるまでずっ~~~と維持され続けているのです。
このような話を聞けば「人権は大事。日本人も声をあげなくては!」と思うでしょう。「いい人」ならそう思うでしょう。しかしわたしはそういう意見を聞くたびに悲しくなります。
なぜならば・・・・・・アメリカ国内で白人は黒人(やヒスパニック系)から搾取していますが、もっと大きな視点をもてば、アメリカは日本を搾取し続けているからです。
アメリカが日本を搾取する構造や、その構造を利用して一部の日本人が利益を貪ってきた歴史についてここで詳しく説明することはしませんが、日本人はある意味では黒人よりもかわいそうな存在です。
なぜならば普通の日本の教育を受けた普通の「いい人」である日本人の多くは、「自分たちが搾取され続けている」ということにも気づいていないからです。
アメリカの黒人家庭で育つ子どものなかには、物心つくころから親から「警察から職質を受けたら、両手を見えるところに置いて動かさない」ということを耳にタコができるほど聞かされるなんてことも珍しくありません。ちなみにそのあたりのことは映画「ヘイト・ユー・ギブ」でも描かれていますので、興味のある方は参考にしてください↓↓↓
ようするに白人から不当に搾取されないための「自分の身は自分で守る心構え」を親が子どもに教えているのです。ちなみに流浪の民として生き延びてきたユダヤ人にも「生きる知恵」を子どもに伝える伝統があります。
一方で日本人の親が子どもいうことといえば「勉強しろ!」です。しかしそれをいうなら日本人は大人こそ勉強しなければいけません。
これから先、あなたに何かしら生活上の不満が生まれ、それを解消できずに「どうすればいいだろうか?」と悩むことがあったら、これから話すことを覚えておいてください。
残念ながら日本全体の救国はほぼ不可能です。理由は「鶏と卵」問題です。すなわち『健全な社会』の創出には『健全な市民』の創出が必要ですが、『健全な市民』の創出には『健全な社会』が必要だ、という循環構造があるからです。
統計(総務省統計局の「平成28年社会生活基本調査」)によれば、日本では社会人が勉強する時間は1日平均6分なのだそうですが、それでは「健全な市民」が創出されるわけがありません。
とすればあなたがやるべきことは決まっています。そう。社会(学校教育 等)があなたを健全にすることを期待できない以上、「あなたが自分を作り出すしかない」のです。
初期ギリシャ以降、「自分たちを作り出す」ことを『自己陶冶』(じことうや)といいます。そして『自己陶冶』というドイツ語の日本語訳が「教養」です。
自己陶冶を通じて、自分としての自分から距離をとることが大切です。自分としての自分とは、ひらたくいえば「頑張れば報われる」ことを素朴に信じ続ける「いい人」のことです。
しかし残念ながら今の日本は「いい人」が報われる社会ではありません。「ズルくてもうまく世渡りした人間が得をする」社会になっています。
もっとわかりやすくいってしまえば、「隠蔽、改ざん、嘘つきの常習犯とその仲間たちが、甘い汁を合法的に吸える」という構造的な理由により「いい人」のままでは成功することも幸せになることも難しくなっています。
ですからもしあなたが成功したいとか幸せになりたいと願うなら「いい人」である自分から距離をとらなくてはいけません。「自分としての自分から距離をとる」とはどういうことでしょうか?
「自分としての自分から距離をとる」とは、「いい人」から距離をとるということです。つまり「ズルい人」を目指すことを意味します。もちろん、ここでいう「ズルい」とは「卑怯」という意味ではなく「社会の動きを熟知する」という意味です。
「社会の動きを熟知する」といってもなんのことかわからないかもしれません。だからもっと直接的にわかりやすくお伝えします↓↓↓↓
納税者の気持ちを理解しない政治家や官僚がダメならば、政治家や官僚の発想を理解できない一般市民もダメ。ということです。
労働者の気持ちを理解しない経営者がダメならば、経営者の気持ちを理解できない労働者もダメ。ということです。
あなたの気持ちを理解しない配偶者がダメならば、配偶者の気持ちを理解できないあなたもダメ。ということです。
子どもの気持ちを理解しない親や教師がダメならば、親や教師の気持ちを理解できない子どももダメ。ということです。
「自分としての自分から距離をとる」≒「ズルくなる」≒「社会の動きを熟知する」ことの意味を理解したなら、きっとあなたは1日6分以上勉強するようになるでしょう。
あなたが勉強すれば、あなたの子どもも勉強するようになるでしょう。「健全な市民」と「健全な社会」はそうやってつくられるのです。
もし自己陶冶することを放棄するとどうなるでしょうか?
自己陶冶を放棄すれば、自分の生きているその社会がどのようなメカニズムで作動しているかわからないままの状態のまま、努力をし続けることになります。
社会のメカニズムとは「社会法則」のことです。社会法則を無視した行為は、どれだけ頑張っても報われません。しかし人間は努力をしているだけで気持ちが安心する傾向があるので、結果がでなくても努力だけはし続けるということも珍しくありません。
勝間和代さんも「努力で解決できないことが山のようにある現実を見つめよう」といっていますが、その現実を見つめることがまさしく「自己陶冶」なのです。社会の中でうまくやりたいなら、「自己陶冶」≒「社会の動きを熟知すること」からは逃れることなどできないのです。
次回は【変わるチェックリスト】の『言語』について取り上げます。楽しみに!