あなたは「社会人」でしょう。ということは「どのような社会のなかで生きているのか?」ということを理解することが重要になります。欧米であれば「キリスト教」、中東なら「イスラム教」といった「宗教」を背景とした歴史について理解する必要がありますが、日本人の場合は無宗教を自覚する人がほとんどです。
しかし日本にも行動原理を方向づける「立場主義教」なるものがあるのです。立場主義教は、政治にも経済にも家庭生活にもはびこっていますので、あなたが「自分の人生を変えたい」と思うなら必ず理解しておく必要があります。是非とも最後までお付き合い下さい。
コロナ禍で売り上げが激減した中小企業を救うために、国が最大200万円(法人200万円、個人事業主100万円)を給付する「持続化給付金」という制度がありましたが、すぐに大きな騒動に発展しました。
持続化給付金の事務手続きを委託された『サービスデザイン推進協議会』は幽霊法人であり、事務手続きを769億円で委託されていたものの、749憶円で『電通』に丸ごと再委託していたのです。
その問題についてインタビューを受けた『サービスデザイン推進協議会』の代表理事は『私は飾りです』と断言しました。
サービスデザイン推進協議会の代表理事が「私は飾りです」と言い切っっちゃたのすごい。 pic.twitter.com/AkzkpxNA2d
— れもんた (@montagekijyo) June 3, 2020
そう。代表理事は「飾り」の役割を果たしているだけなのです。だから「しょうがないだろ」、「俺の立場も考えてくれよ」というのが代表理事の言い分なのです。
アカデミー賞4冠を達成した映画『パラサイト 半地下の家族』では、「寄生する立場」と「寄生される立場」が描かれましたが、ポン・ジュノ監督が描きたかったことは寄生する・される双方向性についてです。
つまり一見すると「寄生される」(お金持ち)立場であるはずの家族が、「寄生する」(貧乏人)立場の家族に、逆に寄生しているという点を描いているのです。そう。貧乏人もお金持ちもお互いがお互いに寄生し合って生きているのです。
なぜ?映画『パラサイト 半地下の家族』の話をしたのかというと、わたしたちの社会は、あらゆる『立場』が網の目のように張り巡らされているということを確認したかったからです。
「官僚が準備した原稿を総理会見で読み上げる」という立場の『総理大臣』、官僚にレクチャーされたことをそのまま新聞に垂れ流す『大手新聞社』、ハンコを押すために出社する『サラリーマン』・・・・
日本社会ではどこを切り取っても金太郎飴のように同じような絵柄(構造)を見つけることができるのです。もちろん政治・経済だけでなく、家族関係のなかにも「立場」は根付いています。
日本社会の立場というものは、男社会を前提にしてつくられています。ですから女性がその椅子に座ることは並大抵のことではありません。
もちろん小池百合子のような「強い」女性であれば、都知事選挙で東京都連(石原のぶてる・内田茂)と喧嘩して勝利した後に、『自民党本部』(安倍総理大臣)と手を結ぶなどして上手く立ち回り、自らの地位を盤石にすることもできるでしょう。
とはいえ、ほとんどの女性はそんなにうまく立ち回れません。そこで自分の立場を守るために採用する戦略というのが『立場上の妻』戦略です。ひらたくいえば、「立場」のある男性をしっかりとつかまえて、そこから「搾取」をするという戦略です。
具体的には、「生活費」、「老後やもしものときのための貯蓄」、「住宅ローン」などの名目で、夫の立場に付随して入ってくるお金をすべて手中におさめます。家計の管理というものは「立場上の妻」を演じる上で、最も必要なことだからです。
会社の中で立場を守ることに必死の男性は、会社の同僚と飲めば「人事」のことばかりが話題の中心になりますが、『立場上の妻』が四六時中考えることは「お金の管理」なのです。
そして『立場上の妻』が出す結論は、「男に大金をもたせると酒や女に消えるだけ。どうせろくな使い方はしない。」ということであり、必然的に【小遣い制】が誕生するというわけです。
日本には「お見合い結婚」でもなく「恋愛結婚」でもなく「立場婚」ともいうべき夫婦がかなり多いという印象をもっています。
その証拠に、日本では「お金がないと結婚できない」という主張が当たり前のように受け止められていますが、逆に欧州では「お金がないから結婚しよう」という価値観が一般的です。「お金がないもの同士、助け合って生活していこう」というわけです。
それではなぜ?日本人だけが「お金がないと結婚できない」と思い込んでいるのでしょうか?
ズバリ答えは・・・日本人は無意識に「結婚できる立場」というものを設定しており、その条件をクリアした人たちだけが「結婚できる」と思い込んでいるのです。
そしてその延長線上に、結婚してからも「夫の職業や収入」や「専業主婦かどうか」などで階級を決める「ママカースト」なるものが存在しているのです。
日本の離婚理由ランキング断トツの1位は「性格の不一致」ですが、日本社会における夫婦関係では、当然起こるべくして起こる結末だと思っています。
夫婦はお互いに「自分たちは恋愛結婚をした」と思い込んでいるわけです。しかし現実にはお互いの「立場」に惹かれ合って結婚をしているという側面もあるわけですから、その認識のズレが時間の経過につれて噴出し、とりかえしのつかないような破綻を招く・・・というわけです。
その典型例が「熟年離婚」です。日本では男も女もそれぞれ自分の「立場」を守るため、それに見合う「立場」の相手と結婚をします。
具体的には、男は社会の中できっちり「会社員」や「夫」という役を果たして、自分の「立場」を守ろうとします。その一方で、女性はそのような「立場」をもった男をしっかりと捕まえて「妻」もしくは「母」という役を果たすことで、やはり自らの主婦としての「立場」を守ろうとします。
そういう前提条件の上で、「夫の定年退職」はどのような意味をもつでしょうか?当たり前ですが、会社を辞めてしまえばもはや「立場」はありません。後に残ったのは「立場の抜け殻」であるオヤジだけです。
奥さんは「立場の抜け殻」になった夫をみてどう思うでしょうか?自分のママ階級を底上げしてくれた夫はもうそこにはいません。そして今まで「立場」があったからこそ我慢をしていた奥さんの不平不満が一気に噴出します。
こうなると夫婦はお互いにいがみ合うしかなくなり、最悪、殺すか殺されるかというところまで争いが発展する可能性がありますが、そうならないようにどちらかがさっさと別れを切りだす・・・・・それが「熟年離婚」の真実ではないでしょうか?
「社会的な立場がなくなったら何も残らない」ということを再確認させてくれる人物が、まさにさきほど紹介した『サービスデザイン推進協議会』の代表理事だったわけですが、あなたはどのような「立場」にすがっている生きているでしょうか?
残念ながらあなたの「立場」がこの先も守られる保証はどこにもありません。ですから立場を前提にしたコミュニケーションすべてが必然的に「不安定」になってしまうのです。そう。。。。わたしたちはすでに「不安ベースの社会」を生きているのです。
その一つの例が、これまで説明してきた「結婚」です。安定した結婚生活の前提には「夫の立場」があるわけですが、終身雇用制どころか1年後の社会がどうなっているかもわからない以上、必然的に結婚生活の不安定になりがちです。
わたしたちはこれからも「不安ベース」の社会で生きていかねばいけないわけですが、なぜ?不安ベースの社会なんてものが生まれたのでしょうか?
ズバリ答えは・・・・「グローバル化」と「IT技術の発達」です。
こむずかしい話をせずとも、コロナ禍において日本で起こったことを思い出せば「グローバル化」と「IT技術の発達」のことは直感的に理解できるはずです。
中国の武漢が発生源とされるコロナウイルスは、あっという間に世界中に広がり猛威を振るいました。グロバール社会では、情報や資本や労働者だけでなく、ウイルスや「漠然とした不安」という曖昧なものでさえも国境を越えて世界中に伝染するのです。
また緊急事態宣言が発令され『自粛ムード』が蔓延するなか、一部の人たちは満員電車から解放されて自宅での『リモートワーク』や『ZOOM飲み』をエンジョイしましたが、職を失ったり労働時間を減らされた労働者も少なくありませんでした。
また都市部での「ステイホーム週間」を支えたのはUBER EATSや出前館などのデリバリー産業でしたが、爆発的に増えたデリバリー需要を支えたのは、ある日突然職を失った労働者たちでした。
グローバル化やIT技術の発達を背景にした社会では、ある日突然、「立場を失う」ということがあり得るのです。
「選挙に強い」ことを背景に、あたかも絶対君主のように君臨していた安倍総理の支持率ですら急落しました。
1902年創業の老舗パラレルブランド「レナウン」は倒産しましたし、ミシェランの星を獲得した有名シェフのレストランですら経営が危ぶまれている状態になりました。
「先行きがどうなるかわからない」という状況は人を不安にします。先行きがどうなるかわからない不安は思考停止を招き、数多くの「計画」を破壊しています。
具体的には・・・・旅行する計画、留学する計画、進学・卒業する計画、結婚式の計画、離婚する計画、起業する計画、転職する計画、借金する計画、などを多くの人が「凍結」する事態になっています。
さて、これまでの話をまとめておきましょう。
わたしたち日本人のほとんどは「立場」にすがって生きています。しかし残念ながらグローバル化やIT技術の発達によって「立場」の賞味期限が短くなっています。大学1年生の時に勉強したことが卒業する頃には陳腐化していたり、有名企業の経営がある日突然傾くことも珍しくありません。
そのためわたしたちは、将来設計の「前提」となるはずのものが、ある日突然、前提として機能しなくなるという『不安ベースの社会』のなかで、なんとかやっていかなければならないのです。
「不安ベースの社会」では、途中でハシゴを外されるようなことも覚悟しなければいけません。しかし「変わる」ということは多くの人にとって難しいのです。
小池百合子東京都知事は、「3密」の回避を都民に呼びかけました。しかしお手本を見せなければいけない立場の人が、「3密どころか酸欠」という環境の中、コロナ対策会議をしているわけですから笑えません。
— 輝の本棚 (@akirabookshelf) June 5, 2020
他人に対して「変わりましょう」というのは簡単です。しかし自分が「変わる」ことは、自分が思っている以上に難しいのが実情です。
暗い性格をなんとかしたい、ポッチャリした体型をなんとかしたい、甲斐性のない自分をなんとかしたい、スキルのない自分をなんとかしたい・・・・どうすれば・・・・あなたは・・・・変われるのでしょうか?????
変わらない場合(つまり立場にすがる場合)、「しょうがないだろ」、「わたしの立場も考えて」というセリフしか口からでてきません。そう。『サービスデザイン推進協議会』の代表理事がそうだったように。具体的には・・・・
わたしはそういう『性格』なのだからしょうがない、わたしはそういう『DNA』だからしょうがない、わたしは『優秀じゃない』からしょうがない、わたしには『運がないから』しょうがない、わたしは『もう歳だから』しょうがない、わたしは『環境に恵まれていないから』しょうがない、わたしには『コネがない』からしょうがない、わたしが『ずっとやってきたこと』だからしょうがない、わたしの『運命』だからしょうがない、、、といった具合です。
繰り返しになりますが・・・・どうしたら・・・・あなたは・・・・変われるのでしょうか????
もちろん「変わりたくないから変わらない」というのも一つの選択肢です。しかし世の中は無慈悲にも急速に変化し続けています。『変われない人』と『変われる人』との差が、わずか数年で取返しのつかないほど大きく開くことも珍しくありません。
「変わりたくないから変わらない」場合、ある日突然ハシゴを外されて、地面に叩き落されて、惨めな境遇に追いやられるということも覚悟しておかねばなりません。あなたは「変わる」ことを選びますか?それとも「変わらない」ことを選びますか?
日本では「立場を守れ!」という同調圧力が強いです。立場とは「役割」です。役割を変更しようとすれば「わがままだ」と非難されるリスクがあるのが日本社会での現実です。
「立場主義」が政治にも経済にも家庭にも蔓延した日本社会で「変わる」ことは、あなたが思っている以上に難しいことなのです。
どうすれば「本当に変われる」のでしょうか?ここから先は「本当に変わるためにもっとも必要なこと」について解説します。是非とも最後までお付き合いください。
幻冬舎社員・箕輪厚介氏は、「多動力」(著:堀江貴文)、「お金2.0」(著:佐藤航陽)、「メモの魔力」(著:前田裕二)などの出版に関わる『天才編集者』として、自分自身は「死ぬこと以外かすり傷」を世に送り出すなかで、読者には「価値観のアップデート」を推奨してきました。
そんな箕輪厚介氏に対して、『性差別、女性蔑視の発言を繰り返す、あなたの古臭くて醜悪で下劣極まりないジェンダー観から真っ先にアップデートしたらどう?」という藤田孝典氏から箕輪厚介氏への反撃は痛快です。
セクハラ問題で話題の幻冬舎社員・箕輪厚介氏から「こいつ本当に嫌い」と言われたことは勲章である(藤田孝典) https://t.co/GjTqjOBSFp
箕輪厚介氏やその周辺も、時間が相当かかるにしても、自分たちが大事にしてきた「価値観をアップデートせよ」という言葉に真剣に向き合う時期だ。— 藤田孝典 (@fujitatakanori) May 31, 2020
さて、今回のレポートで取り上げたいのは「ジェンダー論」ではなく、藤田孝典氏が箕輪厚介氏から受けた『こいつ本当に嫌い』という言葉についてです。あなたには、あなたのことを「こいつ本当に嫌い」といってくるような「反対勢力」や「抵抗勢力」というものがあるでしょうか?
わたしはむかしむかし、自分の周囲の人のほとんどすべての人からも「お前って、本当にいいやつだよな。」といわれる人生を生きていました。友人同士が遊びに行ってふとわたしに関する話題になった時に、「あいつって、本当にいいやつだよな。」という結論に至ったという話を何度も聞かされました。
しかし自由に生きるためには、それじゃダメなんだということにある時気づきました。自由に生きようとすると必ず反対勢力が生まれます。仮にわたしが「世界から戦争をなくし平和な世の中を目指す」という誰もが反対しないはずのことを主張しようが、「そんなことを主張するお前のことが本当に嫌い」という勢力が生まれるのです。
あなたは自由になりたいでしょうか?
そのように質問すると、「自由になりたい!!」という人も多いのですが、実際に自由になる場合には「お前本当に嫌い」といわれたり、見ず知らずの他人から拒絶される覚悟が必要になります。つまりそれが「自由になるためのコスト」なのです。
「自由になるためにはコストが必要だ」ということを認識してないと、実際にコストを支払う時の精神的なショックは大きいです。
わたしは過去に「自称:お金持ち」から飲みに誘われて六本木の会員制バーにいったのですが、おごってもらうどころか全額わたしが会計を支払うという経験をしました。たしかお会計は10万円くらいだったと思いますが、10万円を支払う以上の精神的ダメージを食らいました。(笑)
「10万円支払う心の準備があって10万円支払う」のと、「奢ってもらうつもりだったのに10万円支払う」のとでは10万円支払うという結果は一緒なのに、後者のほうがダメージが大きいです。
同様に「自由になるためのコストを支払う準備があって、コストを支払う」のと、「コストを支払うつもりがないのにコストを支払う」のとでは、支払うコストは一緒なのに後者のほうがダメージが大きいです。
「あなたが何かを実現したいならコストを支払わなければいけない」ということは覚えておきましょう。しかし世の中には「そういうコストは支払う必要がないんだ。」というフェイクニュースをバラまく輩がいます。
「自由になるために(変わるために)コストを支払う必要がない」というフェイクニュースを信じると「コストを支払うつもりがないのにコストを支払う」という状況になりがちで、そうなると精神的なダメージに耐えられずにほとんどの人が挑戦をやめてしまうのです。
楽して稼げるとか、投資すれば儲かるとか、、、、、、、んなわけねーだろう、、、、、と冷静ならひっかからないような「うまい話」でも、恐怖や不安になっているときは、そういう話を信じてしまいそうになるから要注意ですよ・・・ということをいいたいのです。
今、コロナで不安になっている人が多い世の中では残念なことですが、騙される人も多くなるでしょうし、詐欺師は「今こそチャンス!」と笑っているでしょう。
あなたが負担を覚悟できるコストの量はどの程度でしょうか?
莫大なコストを負担できるなら、何に挑戦するにしても成功確率は高くなりますが、コストを支払わない場合にはそれだけ成功確率は下がります。
一番難しいのは「コストゼロで最大限の結果を得ること」です。1万円で2億円の宝くじを当選させるような人生に賭けるならそれでもいいでしょう。
でもわたしが伝えられることは「コストを支払いその一部をちゃんと回収する」という至極真っ当な(?)生き方ですので、最低限その覚悟がある方のみ、ここから先にお進みください。
フジテレビのザ・ノンフィクションで「ふたりのお母さん」という回が放送されました。(2020年5月31日)
1人の男性が結婚した後に、別の女性も好きになってしまったことを妻に告白し、そこから一つ屋根の下で一人の男性、二人の女性とその子どもたちとの生活がスタートするという話です。
凄い家族構成
そりゃ世間は受け入れないわ#ザ・ノンフィクション #ザノンフィクション#フジテレビ pic.twitter.com/mYnMM3OCqT— 下町ジャックとランボルギーニ (@jackojisan) May 31, 2020
男性の立場からしても「ありえない」、女性の立場からしても「ありえない」と衝撃を受けた視聴者が多かったようですが、その生活をすでに8年弱継続している家族が実際に存在しているのです。
さきほどは自由を獲得するためにはコストを支払わなければならないという話をしましたが、ここでは自由を「今までの自分だったらありえないと諦めていたことを実現した状態」と定義することにしましょう。
百人いれば百人の自由のカタチがあると思いますが、あなたにとっての自由とはなんでしょうか?
お金の不自由から解放されている状況とか、離婚して頑張っているとか(もしくは離婚しないで頑張っている)、モテているとか、英語がペラペラになっているとか、、、、、「今までの自分だったらありえないと諦めてしまうような状況」はあなたにもあるはずです。
では『コスト』とはなんでしょうか?さきほどから『コストを支払う覚悟が必要』ということをいってきましたが、『コスト』とはなんでしょうか?
先ほど紹介したザ・ノンフィクションの「ふたりのお母さん」を参考にして、ありえない状況を実現する『コスト』について考えてみましょう。
まずは「そうしたいと願うコスト」があります。
「自分にとってありえない状況」を願うわけですから、自分で「自分が望む未来」を信じられない葛藤とも戦う必要があるでしょう。
また他人からの「攻撃」(そんなこと本当にできると思っているの? 等)に耐える必要もあるでしょう。
「感情を克服するコスト」もあるでしょう。
(夫の立場では)二人の女性を好きなバランスを崩さない努力が必要になるでしょうし、(妻の立場では)別の女性が一つ屋根の下にいることで生じる嫉妬の感情を克服する必要があるでしょう。
「ありえない状況を実現する知識をインプットするコスト」があります。
どのような状況を生み出せれば法的にも倫理的にも問題を最小化できるか?というような知識は当然ながら必要でしょうし、「他人を思いやる知識」も一般的な家族よりも多くを必要とするでしょう。
「ルールを明文化する言語能力を養うコスト」が必要になります。
家族を含む自分以外の全員から「なぜ?あなたはそのようなことをしているの?」と質問される機会は多いでしょうし、ありえない状況を維持するためのルールも必要になるでしょう。
「行動力するコスト」も必要になるでしょう。
「あなたを愛しているよ」といくら囁こうが、実行が伴わなければ誰からも信用されないでしょう。
「一貫性を維持するコスト」も必要でしょう。
時間が経過すれば状況は変わります。状況が変われば、これまで説明してきた「願望」、「感情」、「知識」、「言語」、「行動」のすべてを修正しなければいけないでしょうし、修正しなければ計画は破綻するでしょう。
「継続力」も必要なコストとして見積もるべきでしょう。なぜならばやればなんでもすぐに結果がでるわけではないからです。
「自分にとってありえない状況」が「現状」から遠ければ遠いほど、自分で自分を勇気づけることが重要になってきます。
以上、これまでの内容をまとめると、わたしがいうコストとは「1.願望」、「2.感情」、「3.知識」、「4.言語」、「5.行動」、「6.完全性」、「7.継続」にかかるコストのことをいっています。
わたしの場合、「地頭がいいわけでもないのに偏差値を37から73にアップさせる」とか、「誰からも内定がでると期待されていないのに外資系戦略コンサルタント会社の内定を勝ち取る」とか、「会社にもいかず、従業員も雇わずに、見ず知らずの人に商品を買ってもらい飯を食う」とか、「衝突してばかりだったパートナーと愛を深める」とか、「年中大好きな映画と読書と漫画に囲まれて、なおかつB級グルメを食べ歩く」などの数々の「ありえないこと」を実現するためにかなりのコストを支払いました。
年中休まずどうしたらそれが実現できるのか?と試行錯誤を繰り返し続ける生活を継続したからこそ、コロナ禍で経済が止まってもなんとか生きながらえることができています。
わたしはなにもお金のことを強調したいわけではなく、今回紹介したザ・ノンフィクションのように「家族関係」でも、もっと広い「人間関係」でも、趣味でも社会貢献でも「ありえないこと」を達成したければ、それなりのコストを支払う必要があるといっているのです。
もしあなたが「ありえない」ことを実現したいのであれば以下のチェックリストを日ごろの生活の中で常に意識する必要があるでしょう。
「変わるチェックリスト」にある7つのテーマのそれぞれについて解説したいと思うのですが、その前に絶対に解説しておかなければいけないことがありますので、もう少し話を続けます。
コロナ禍により大学教員は「オンライン授業」の開催を強いられました。もちろん「やらなくていいならやりたくない」というのがほとんどの大学教員の本音でしょうが、上からの命令で「やるしかない」ので、大学教員はなんとかせざるを得なかったのです。
しかし小中学校での実態は異なるようです。三田地真実(星槎大学大学院教育学研究科教授)は、「教育委員会あるいは、その管理下にある公立学校は、本気でオンラインを授業に取り入れるつもりがないのでは?」と疑わざるを得ない具体的な事例に次々と直面したそうです。
例えば三田地さんは、教育委員会や公立学校主催の教員研修の講師を依頼されているので「今年はオンラインでやりませんか?」と主催者に提案しているのだそうですが、今のところ首を縦に振ってくれた主催者はいないそうです。
三田地さんは、受講生100人以上の研修をオンラインで実施した経験があり、「資料一式も共有し、運営側のお手伝いも致します」と丁寧に説明しているにもかかわらず、「準備が整っていない」という理由で断られてしまうのだそうです。
「対面に加えてオンラインも併用したハイブリッドな教育方法」を自在に操ることのできる教員は実際のところ相当な能力が要求される。
オンライン授業拡大の中で浮き彫りになる「変われない公立学校教育」 – 三田地 真実|論座 – 朝日新聞社の言論サイト https://t.co/yqdgvJOG5d
— Miki (@natsumi902) June 8, 2020
さて、本題はここからです。「準備が必要」といったところで、小中学校の先生だってこれまで授業の準備をしているはずです。本気でやろうとすれば、できないわけがありません。
ではなぜ???「オンライン授業」に向けて、最初の一歩すら踏み出せないのでしょうか?
何かに挑戦するとき、人は無意識に「メリットとデメリット」を天秤にかけます。例えばさきほどの「オンライン授業」の例であれば、メリットは「コロナ感染リスクゼロでスケジュール遅延もなく授業できる」、デメリットは「オンライン授業の環境を整えて、生徒にもその案内をする手間がかかる」というように考えることができます。
メリットとデメリットを比較した時に、どう考えても「メリット>>デメリット」であり、メリットのほうがデメリットよりも大きいのであれば「やる」以外には選択肢はないはずです。しかし不思議なことに「やらない」という選択肢のほうが優先されます。
同様のことはわたしたちにも当てはまります。「痩せれるのであれば、痩せたほうがいいのに痩せない」、「語学の勉強をしたほうがいいのに勉強しない」、「副業をしたほうがいいのに副業に挑戦しない」、「投資をはじめたほうがいいのに投資をしない」、「夫婦仲良くしたほうがいいのに仲良くしない」、「離婚した方がいいのに離婚しない」(離婚しない方がいいのに離婚する)といった具合です。
わたしたちは何を見落としているのでしょうか?
わたしたちが見落としていることは「現状維持のメリットとデメリット」です。わたしたちが何かに挑戦するかしないか決断する時、無意識に「現状維持による期待値」と「挑戦した場合の期待値」を比較検討しているのです。
例えばさきほどの「オンライン授業」の例であれば、現状維持のメリットとしては「オンライン授業に挑戦して失敗することを回避できる」などが挙げられますし、現状を維持するデメリットは「ほとんどゼロ」です。
もちろん現状を維持するデメリットは実際にはゼロではありません。しかし「いつもやっていること」のデメリットは「大したことではない」と錯覚してしまうのです。このような認知の働きを「デフォルト値効果」といいます。
例えば転職するか迷ったサラリーマンが「いろいろ嫌なことはあるけど、今の会社にいるほうが一番マシ」だと判断するのもデフォルト値効果によるものですし、「いろいろ嫌なことはあるけど、離婚せずにいるのが一番マシ」だと判断するのもデフォルト値効果によるものです。
そのことに気づくと「●●したいけど、やらない」という思考が実はとても合理的であることに気づくのではないでしょうか?
「オンライン授業に挑戦したいけど、やらない」のも当事者にとっては合理的、「転職したり脱サラしたいけど、やらない」のも当事者にとっては合理的、「政治のやり方を変えたがほうがいいけど、変えない」のも当事者にとっては合理的、「離婚したいけど、離婚しない」のも当事者にとっては合理的な選択肢なのです。
つまりこれまでの議論を理解すれば、「とにかく現状維持はダメだ」と断言してしまうこと自体が「愚かな決断」であると理解できるでしょう。なぜならば現状を維持したほうが、思い切った挑戦(転職、脱サラ、離婚、制度改革等)をするよりも、「利益が大きい」と(少なくとも当事者は)判断できるからです。
しかしその一方で「とにかく現状を維持するのがいい。挑戦なんてしないほうがいい。」と断言するのも「愚かな決断」になります。なぜならば「現状を維持するコストは過剰に低く見積もられている可能性が高いから」です。
例えば現状維持のコストを「10」と見積もっていても、現状維持のコストが本当は「100」であれば、現状維持にこだわる必要はなく、挑戦することのほうが合理的である可能性は残されています。
ここまでの話を理解したあなたは、「で?どうすればいいの?」と思っているでしょう。ズバリあなたがやるべきことは、「現状維持と、それ以外の選択肢を精緻に比較し、どちらがよいのか、冷徹に見極める」ことです。
しかし「冷徹に見極める」作業をスタートさせた瞬間に、「それがわかれば苦労しない」という気持ちになるでしょう。なぜならば「挑戦すること」のメリットとデメリットについてはいずれも「経験したことがないからよくわからない」からです。
例えば肥満体質の人が痩せる前から「痩せたらスゴイメリットがある」ことを実感することは難しいでしょうし、転職する前から「転職先で活躍している自分」をイメージすることも難しいでしょう。同様に、離婚する前から「離婚して幸せに暮らしている自分」をイメージすることも難しいでしょう。
つまりこれまでの議論でわかることは・・・・・現状維持以外の選択肢を採用した時の「メリット」がものすごく大きいことをリアルにイメージできれば、「現状維持から抜け出す」という結論を下すのが当たり前になるが、そうでなければ「現状維持から抜け出せない」ということです。
ちょっと難しい言い回しになってしまいましたが、ひらたくいえば「自分の未来に大きな期待ができる人にとっては、挑戦することが当たり前になる」が、自分の未来に大きな期待ができない人にとってはそうではないということです。
例えば挑戦することのメリットを「100」と見積もってきましたが、自分の未来に大きな期待ができる人は挑戦することのデメリットがたとえ「900」であっても、挑戦することを選ぶ可能性も十分あり得ます。
あなたは自分の未来に対して、どの程度期待できるでしょうか?
残念ながらほとんどの人が、現状維持のメリットもコストも意識していませんし、挑戦することのメリットもデメリットも意識していません。
ですから多くの人にとって、これまで解説してきたような「コスト」について意識する機会は「そうせざるを得ない場合」に限ります。例えば「現状維持のメリットがほとんどなくなる場合」(例:配偶者と結婚生活を続けてもメリットがない)や、「現状維持のデメリットが無視できないほど大きくなる場合」(例:結婚生活が辛すぎて耐えられない)です。
それぞれについて詳しく説明しておきましょう。
まずは「現状維持のメリットがほとんどなくなる場合」としては、前回のレポートで解説した「熟年離婚」の例を思い出すとよいでしょう。旦那の定年退職により、長年連れ添った旦那の立場が失われることで、妻にとって婚姻関係を続けることのメリットがなくなるのでした↓↓↓
また「現状維持のデメリットが無視できないほど大きくなる場合」とは、夫婦の価値観の不一致や性の不一致などにより、婚姻関係を継続するコストが極めて増大するようなケースが該当します↓↓↓
以上のように、現状を維持するメリットが失われたり、現状を維持するデメリットが増大するような場合、「現状から抜け出す選択肢」のどれもが魅力的に感じられるようになります。
例えば現状「結婚」している人であれば「離婚したい」と思うでしょうし、現状「勤め人」であれば「転職したい」とか「脱サラしたい」と思うかもしれません。
しかしそのような考え方では、逆に状況は悪化します。なぜならば「挑戦」することに対して、ちゃんとした目論見や勝算があるわけではないからです。
ちゃんとした目論見や勝算がないまま「現状維持から抜け出したい」という突発的な衝動により、軽率に離婚したり転職したり脱サラした挙句、人生のクオリティーも年収も待遇も激下がりになってしまわないように注意しなければいけません。
わたしが外資系の戦略コンサルタントだった時、尊敬する超・仕事のできる上司に「頭のいい人ってどういう人だと思いますか??」と質問したら、こんな答えをもらいました。
「具体化と抽象化の両方をちゃんとできる人が頭のいい人だと思う。」と。この答えは、わたしが伝えたいことを一言でまとめています。
つまりわたしが伝えたかったことは・・・・・「夢ばっかりみてないで、現実をみろよ」ということであると同時に、「少年よ、大志を抱け」ということでもあります。
つまり「現実をみろよ」だけでもダメ、「夢をもてよ」だけでもダメ、「現実もみるべきだし、未来も見据えるべきだ」ということです。
現実は「具体的」です。今の自分がどのような生活を送っているかはすぐにわかります。その一方で未来は「抽象的」です。未来の自分はどうなっているのか?なんて考えてもよくわからないかもしれません。
しかしせっかくわたしと出会ったのですから、あなたには「現実を直視しつつ、なおかつ、未来を臨場感をもってイメージできる人」になってほしいと思います。
それこそが、「自分の築き上げてきた立場がいつ崩壊するかわからない」というグローバル化やテクノロジー化を背景とした【近代社会】で心豊かに生きる秘訣だと思います。
あなたの次なる疑問は、「現実を直視しつつ、なおかつ、未来を臨場感をもってイメージできる人になるために必要なことな何か?」ということだと思います。
実はその答えはすでに明らかにしています↓↓↓
しかしまだわたしのいわんとしていることが、よくわからない人がほとんどだと思います。そこで次回以降のレポートでは【変わるチェックリスト】に登場する7つの要素について、それぞれ解説したいと思います。お楽しみに!!