はじめまして。坂本輝(あきら)といいます。ライフコーチの肩書で活動しているわたしが『お金に恵まれる原則』をお届けしているのは、離婚準備中でお金のことを心配している人が多いことを知っているからです。
あなたがこのレポートを申請したブログ『離婚準備なう。』を運営するにあたって、ブログに訪問してメルマガに登録した100名ほどの方に「あなたが不安に思っていることや、離婚準備としてこれからやることを教えてください。」とアンケートで質問したことがあったのですが、そのほとんどが『お金』のことでした。
「離婚したいのですがお金のことは心配なので勉強したいのですが、何から勉強したいのかわからないのでとりあえず貯金からはじめたいと思います。」という人もたくさんいたし、「わたしは離婚したら孤独に貧乏に生きなければいけないんです。」と自暴自棄になっている人もいました。
しかし残念ながら「お金」について勉強して満足のいく結果を出せたという人がほとんどいないことも知っています。それほど「お金」とは、一筋縄ではいかない問題なのです。
そもそも「お金」とは抽象的な概念です。お金のことを勉強するために本屋に足を運べば、さまざまなテーマの書籍がズラーっと並んでおり、どの本から読めばわからなくなるはずです。
例えば「お金」といっても、『貯金』、『節約』、『起業』、『副業』、『節税』、『借金』、『投資』、『出世』、『転職』、『資格』など、さまざまなテーマがあり、それらのテーマ一つとってもさらに細かいテーマの知識があります。
あなたはどのテーマから勉強をスタートさせますか?
あなたはどのテーマについて勉強しますか?
まず最初のアドバイスは、「すべてのテーマについて勉強しなければいけない」というようなマジメな考え方は捨てたほうがいい・・・ということです。
「なぜ?そんなことがわかるのか?」とあなたは疑問に思うかもしれませんが、実はわたし自身、お金にふりまわされた経験をもっているからわかるのです。
例えば「収入がいいから」という理由で外資系の経営コンサルタント会社に就職して20代半ばで年収850万円を突破しましたが、仕事のストレスで散財しすぎて借金を繰り返し、借金を返すためにさらに高ストレスの仕事にしがみつくという悪循環にハマったこともあります。
収入が高いからといってお金に恵まれるとは限らないことを知ったわたしは、「どうせ仕事に命を捧げるなら起業しよう!」と思い立つのですが、起業した企業を上場させた「成功者」に直接会って話を聞けば聞くほど、「これじゃない感」を強く感じてしまうのでした。
それから(本当に)いろいろなことがあり現在は「ライフコーチ」に落ち着いており、「自分の好きなことをやりながらも着実に資産を増え続ける」という生活を実現したわけですが、ゼロから「お金」のことを勉強して自分にとって理想的な生活を実現させるまでには10年ほどの時間がかかってしまいました。
10年間でいろいろな経験をしたし、いろいろな「成功者」のリアルな実態を観察してわかったことがたくさんあるので、本レポートでは「お金に恵まれる」ために重要な知識に的をしぼって共有したいと思います。
「なぜ?親切にしてくれるのですか?」ということが気になる人もいると思いますが、わたしがあなたに親切にする理由は3つあります。
1つ目の理由は、お金のことで何をしたらいいかわからない状態のまま「もがく」のは本当にツライしみじめだからです。「人間は失敗からしか学べない」といいますが、失敗や挫折なんてしないほうがいいのです。
2つ目の理由は、「人生は本当に短いから」です。「今年もあっと言う間に終わり、正月がきたと思ったらすぐに年末がやってくる」というのが続くうちに、「いつかやりたい」と思っていたことのほとんどを実現できないことを悟りながら死ぬ・・・・・なんてもったいないと思いませんか?
3つ目の理由は、「坂本輝(あきら)」のことを知ってほしいからです。このレポートを読むまで存在すら知らなかった人物のことを知ってもらうためには、「本当に価値がある情報」をお届けするのがもっとも効果的だと信じています。
ですから本レポートで手を抜くつもりはまったくありませんし、このレポートでお伝えすることは一般的な「お金セミナー」では一切語られることもない情報ばかりだと思います。
今のあなたがどのような状況にいるにせよ本レポートは役立つと自信をもって断言しますので、是非とも最後までお付き合いください。
せっかくレポートを読んでくれているあなたには、学校では教えてくれないお金の話をしたいと思います。
これからする話は学校では教えてくれないので、受験勉強を頑張って東京大学を卒業してメガバンクに就職した新入社員でも知らない人がいるような話です。早速はじめましょう。
まずは住宅ローンを借りる状況を考えてみましょう。ほとんどの人が「銀行がわたしたちに貸してくれるお金は、銀行のお金である。銀行は自分たちのお金を貸してくれるのだから、金利を支払うのが当然のことだ。」という理屈を素直に受け入れると思います。
しかし実は銀行がわたしたちに貸してくれるお金は、銀行のお金ではないのです。おそらくあなたは「銀行が貸してくれるお金が銀行のお金じゃないとしたら誰のお金なんだ?」と疑問に思うでしょう。
ズバリ答えは・・・・・「借金した時にお金はゼロから生まれる」のです。銀行がわたしたちにお金を貸してくれる時、銀行がやることは「通帳に(借金の)数字を書き込むだけ」なのです。つまり銀行はゼロから生み出したお金に利子を設定し、収益を上げているのです。
実はいまわたしが解説したことは、高校の地歴公民の「信用創造」というテーマのなかで教えられてはいるのですが、学校教育ではこのことをわかりずらく教えています。
そしてさらにタチの悪いことに地歴公民の教科書を読んでも信用創造について理解できない学生が、Google検索で「信用創造とは?」と調べてもよく理解できないのです。
例えば進研ゼミは「信用創造の仕組みがよくわかりません。」という学生への回答として、以下のような情報を提供しています。
【出典:進研ゼミ】
繰り返しになりますが、『借金した時にお金はゼロから生まれる』のです。そのように教えてくれれば、小学生でもお金の本質なんてものは理解できるのですが、残念ながら「わかったようなわからないような」状態で高校・大学を卒業し、社会人になってしまうのです。
この事実を受け入れるとさらに興味深いことが理解できるはずです。実は・・・・『借金を返済した時にお金は消える』のです。つまり世の中に出回っているすべての「お金」は誰かの借金をきっかけに生まれ、借金を返済した時に世の中から消えてしまうのです。
一昔前まではそのことをいくら説明しても、すぐに納得できる人はほとんどいませんでした。「お金」といえば一般的には紙幣や貨幣という『モノ』であり、お金がゼロから生まれたり消えたりするという話には現実味がなかったのです。
しかしもしあなたがキャッシュレス決済を1回でも利用したことがあるなら、お金は『モノ』でなくてもいいことを直感的に理解できるはずです。
例えばPayPayなどの「●●Pay」を利用して決済する場合、『モノ』としての現金を目にすることはないでしょうし、「●●%キャッシュバック」などで還元されるお金だってアプリ上にある瞬間に突然書き込まれるのではないでしょうか?
さて、わたしが信用創造について説明した理由は「信用創造について理解してほしいから」ではありません。「お金は人工物である」ことを理解してほしかったからです。
冷静になって考えてみれば当たり前なのですが、お金は自然のものではありません。動物も虫も植物もお金を使いません。お金を使うのは人間だけです。
人間社会だけがお金を社会を回すための道具として利用しているのであり、「お金に価値がある」とわたしたちが考えるのは、「お金には価値がある」というルールがあるからです。
お金に価値があるとわたしたちが考えるのは、「お金には価値がある」と他人も信じているからです。なぜ?お金には価値があると自分も他人も信じるのかといえば、買い物ができるからであり、税金はその国のお金でしか支払うことができないからです。
そう。大人になれば毎日お金を使うでしょうし、大人になればお金のことなんていまさら勉強する必要がないと錯覚してしまうのですが、ほとんどの大人は実はお金のことなどほとんど何も知らないのに、そのことに気づいてすらいないのです。
お金に困らない人生を過ごしたいなら、お金に関する基本的なルールについては理解しておく必要があります。
「お金に恵まれた人生を過ごしたい」と強く願っても、お金のルールを知らなければその願いは一生叶わないでしょうし、そもそも「どうしたらお金がもらえるのか?」ということすら『マジメに働く』以上のことはわからないはずです。
ここまで説明すればあなたは「そのルールを教えてくれ」と思うでしょうが、そう単純ではないから「お金の話」は難しい反面、勉強し甲斐があるのです。
本レポートの冒頭で、わたしは「(お金に関する)すべてのテーマについて勉強しなければいけない」というようなマジメな考え方は捨てたほうがいい」とアドバイスしました。
しかしもっと正確にアドバイスするなら「すべてのテーマについて勉強してはいけない」のです。その理由はスポーツに例えて説明するとわかりやすいと思います。
例えば「球技」には、『野球』、『サッカー』、『バスケット』、『テニス』、『卓球』、『バレーボール』、『ハンドボール』、『ラグビー』などたくさんの種目があります。
ボール(球)を使うという意味では似ていますが、ルールは異なっているし、どれか一つで才能があるからいって別のスポーツでその才能が発揮されるとも限りません。
同様に「お金」を扱うという意味では日本においても数多くの「お金を手に入れる手段」がありますし、その手段ごとに、あなたがやることは何から何まで変わってくるのです。
スポーツの種目が異なれば鍛えるべき筋肉が異なるように、「お金を手に入れる手段」が異なれば、あなたが朝起きてから夜寝るまでにするべきことも異なるのです。
特にあなたが住んでいる日本はそのことについて敏感でなければ、お金に恵まれるのが難しいという特徴があるのですが、そのことについて自覚している人はほとんどいません。
実は日本という国は「経済」という言葉一つとってもその意味することが異なるのです。わかりやすく説明しましょう。
ある経済評論家は、日本経済は「鵺(ぬえ)経済」であるといいました。鵺とは、「頭は猿、手足は虎、体は狸(たぬき)、尾は蛇、声は虎鶫(とらつぐみ)に似ている」伝説上の怪獣のことです。
日本の経済もその中身は鵺(ぬえ)のようなものなのです。具体的には日本の経済は「資本主義」、「社会主義」、「封建主義」がごちゃまぜになっています。
ですから「お金の話」といった時、そのお金の話が「資本主義」の世界の話なのか?それとも社会主義の世界の話なのか?封建主義の世界の話のか?ということをハッキリ自覚しておかないと、「サッカー選手を目指しているのにバットを振る練習をする」というハチャメチャなことをやりかねないのです。
【出典:和楽】
繰り返しになりますが、日本という国は「資本主義」・「社会主義」・「封建主義」がごちゃまぜになっている世界でも稀な国です。
資本主義は「起業家」や「投資家」、社会主義は「官僚」、封建主義は「サラリーマン」をイメージしてもらえばわかりやすいと思います。
日本でなくとも「資本主義」・「社会主義」・「封建主義」はごちゃまぜになっているのではないか?と疑問に思った人もいると思いますがそれは錯覚です。
まず資本主義について。アメリカの優秀な大学を卒業する生徒のなかでもっとも尊敬されるのは起業家ですが、日本では起業するというといまだに「将来大丈夫?」と心配されますし、大企業をゼロからつくるというよりは副業の延長としての起業(週末起業、地味な起業)のほうが人気です。
次に社会主義について。アメリカの場合は大統領が変わればホワイトハウスで働く行政組織のスタッフも新しくなりますし、中国の場合は官僚制の元となった制度「科挙」(かきょ)を1905年には廃止しているのですが、日本だけが先進国の中で強大な力をもっている官僚組織を維持し続けています。
その次に封建主義について。アメリカでも中国でも転職しようと思えば転職できる勤め人が死ぬまで働いてしまうといういわゆる『過労死』はほとんどありません。日本人だけが「社員は家族」とか「転職したら負け組になる」と信じて最初に就職した企業にしがみつく傾向が強いのです。
あなたはどの世界でお金に恵まれた生活を手に入れようとしていますか?
もちろん「資本主義」・「社会主義」・「封建主義」もすべて『表経済』の話で、反社会的勢力が暗躍する『裏経済』もあるのですが、裏経済の話はわたしも詳しくないので選択肢から除外することにします。
ここで理解すべき重要なことは、「資本主義」・「社会主義」・「封建主義」のそれぞれで何から何まで異なるということです。
それぞれの世界でルールも異なるし、そこで求められる実力も異なるということです。その点を理解していないと取り返しのつかないほどのダメージを負うことになります。
例えばサラリーマンとして優秀だった人が退職したあとに老後資金のことが心配になり、退職金を投資に回して大失敗してしまった・・・という話は山ほどありますし、国家公務員の裁判官が民間の弁護士に転身しても成功する保証は何一つありません。連続起業家がサラリーマンとして優秀である保証もありません。
もちろんプロの野球選手がオフシーズンにゴルフに挑戦することもあるように、それぞれの世界を兼任してもいいのですが、それぞれの世界でルールも求められるスキルも何から何まで異なるということは覚えておきましょう。
(繰り返しになりますが)あなたはどの世界でお金に恵まれた生活を手に入れようとしていますか?
ここまでレポートを読んでくれたあなたなら、お金の問題とは実のところ『生き方』の問題であることに気づくのではないでしょうか?
スポーツの話をするとそのことがよく理解できるはずです。
例えばプロボクサーの井上尚弥選手は、小学生になるタイミングで父から「サッカーかボクシングかどちらか選べ」と決断を迫られてボクシングを選びました。
またプロ野球選手の大谷翔平選手は、プロになり怖い先輩たちから飲みに誘われても断っていたそうです。その理由は「世界一の野球選手にお酒は必要ないから」だそうです。
以上のように、生き方を決めたらやるべきこと(やらないこと)は自然と決まります。「やるべきことをやらない」とか「やるべきでないことをやる」という選択肢はありません。なぜならばそんなことをすれば生き方がブレて求めているものが手に入らなくなってしまうからです。
イチローがメジャーリーガーだった頃、日本の某アナウンサーが「毎日ストイックに野球の練習をするなんて大変じゃありませんか?」と質問しましたが、イチロー選手は「あなたは、わたしが毎年いくら稼いでいるかご存知ですか?」と逆に質問していましたが、そういうことなのです。
お金の話に戻りますが、どのように生きたいのか?ということを決めたら、『貯金』、『節約』、『起業』、『節税』、『借金』、『投資』、『出世』、『転職』、『資格』などのお金に関する各分野でやるべきこと(やらないこと)は自然と決まるのです。
しかしほとんどの人は、お金の細かい話ばかりに注目し、自分にとっては本来必要ないはずの情報ばかりを収集し、人生の貴重な時間をドブに捨てているのです。
例えば雑誌『クロワッサン』の2020年2月10日号は、お金についての特集号でしたが、こんなアドバイスがありました。要約すると・・・・・
「20代~40代までは子どもの教育費と住宅ローンでお金を貯めるのは難しい。住宅ローンや子どもにお金がかからなくなる50代から定年退職するまでの約10年間が老後資金を貯めるの上で重要になる」とのことでした。
もっともらしいアドバイスです。しかしこのようなアドバイスは20代から30代前半で子どもが生まれ、封建主義の世界(サラリーマン)として生きている人にしか役に立ちません。
子どもは何人いるのか?マイホームを買うのか?どのような仕事をするのか?定年退職するのか?一生現役で働くのか?生活水準はどの程度を希望するのか?によって、やるべきことはすべて異なるのです。
そのことを自覚しないで「どのように生きるのか?」という決断を先送りにしたまま、お金と向き合おうとすると高い確率で失敗することになります。
例えばあの大谷翔平選手だって、そこそこのプロ野球選手でいいのであれば、、、、、、日本プロ野球時代より安い給料を強いられてしまう不利なタイミングでメジャーに挑戦しないでしょうし、お金はあるのに「お酒も飲まない」、「豪遊もしない」、「野球してトレーニングして食べて寝る」という高校球児のような禁欲生活を続けることはしないでしょう。
同様に、もしあなたがどのような生き方をするか?ということを決断しないまま、いろいろやっても高い確率で失敗します。
節約して貯金するのも「我慢」するのがつらくで挫折するでしょう。起業するのもメンドクサイでしょう。借金するのも怖いでしょう。投資や転職に挑戦するのも「リスク」でしかないでしょう。
しかしもしあなたが生き方を決めることができるのであれば、節約や貯金も楽しみになるかもしれないし、起業するのもワクワクするかもしれないし、できるだけたくさん借金したくなるかもしれないし、投資や転職だって「チャンス」になるかもしれないのです。
つまり生き方を決めるからこそ、何をすべきか(やらないべきか)という規律が決まり、やるべきことをどのようなバランスでどの順番でやっていくのか?ということが決まり、それをいつまで達成したいのか?という思いの強さであなたが毎日何時に起きて何時に寝るか?ということまで決まってしまうのです。
さて、このあたりでこれまでの説明のなかで重要なポイントを箇条書きにしておきましょう。
ここまでレポートを読まれた方は、『ライフコーチ』のわたしが「今このタイミング」であなたにレポートをお届けしている理由に気づいていると思います。
「お金問題」とは実は『生き方の問題』であり、それをサポートするのがライフコーチであり、ライフコーチとして「人生を軌道修正したいのでなんとかしたい」と思っている方にだけ情報を届けたいと思っています。
そしてここからが重要なポイントなのですが・・・なぜ?「お金の問題」が実は「生き方の問題」であるという当たり前のことを誰も教えてくれなかったのでしょうか?
世界でもっとも信じられている宗教は、キリスト教でもイスラム教でも仏教でもありません。
世界でもっとも信仰されている宗教は『お金教』です。お金教にとって一番重要なものは「お金」であり、お金教信者はとても多いです。
ですからお金教信者に「お金よりも大事なものがあるんだよ。」とか、「お客様だからといって食べ物を残すのは論理的によくないよ。」とか、「お金の価値も絶対的ではないよ。」と伝えても、猛烈に反発されるかもしくは無視される可能性が高いでしょう
なぜ?お金教信者は他人にまで「お金には絶対的な価値がある」という価値観を押しつけるのでしょうか?
その答えはカンタンです。ズバリ「お金をもっと支払えばもっとたくさんの価値が手に入る」と信じている人ばかりでないと資本主義という名の『お金教」は成立しないからです。
例えば日本に住んでいる外資系金融機関で働いているアメリカ人に「安くていいので仕事をください」お願いしたら逆効果になります。「わたしの仕事には価値があるので高額な費用がかかります。」と伝えたほうが信用されますし、海外のお金持ちのなかには「予算を下回る旅行しかできないから日本旅行の計画を取りやめた」という人もいるぐらいです。
つまりお金教の人たちの価値を判断するモノサシはあくまでも「お金」であり、お金教の人たちは「安いものは価値が低く、高いものは価値が高い」と考えるのです。
日本でも「お金が欲しくないというやつは信用できない」と信じている人や、飲食店で食べ物を大量に残して批判されても「お金を支払ったんだから文句をいうな」と反発する人もいますし、「愛は裏切るけどお金は裏切らない」と本気で信じている人もいます。
そして日本では国や企業も『お金教』を全面的に支持しています。なぜならば国の収入(税金)も企業の収益の源泉はGDP(国民総生産)であり、GDPが大きければ大きいほど潤うからです。
具体的には、労働者には「お金のために」頑張って働いて収入を維持してもらい、「お金で幸せが手に入る」と信じて消費してもらわないと・・・国も企業も困ってしまうのです。
そのような考え方をベースにして「資本主義」は回っています。システム全体の働きをスムーズにしているのは「お金」ですが、「お金」は人工物である以上、「お金」に価値がると信じる人間がそこにいないと成り立たないのです。
ひと昔前に「よ~く考えよ~、お金は大事だよ~」と連呼する矢田亜希子さんが出演するにCMがありましたが、そのCMをみて「そうだよね。お金は大事だよね。」と心の底から共感する人たちが多数派でないと資本主義は成り立たないのです。
念のため補足しますが、お金は人工物である以上、「お金に価値がある」のは当たり前のことではありません。資本主義以外の国(かつてのソ連)ではお金をたくさんもっているのは「恵まれない人たち」だけでした。一部の特権階級の人は行列に並ぶこともなく、お金をほとんど持たずとも、買い物ができたのです。
また現在でも中国の戸籍は「都市部」と「農村部」で分けられており、「農村部」の戸籍をもっている人は豊かな都市部で働くことすら制限されているのです。このことからもわかるように、お金よりも重要なものが今でも中国にはあるのです。
つまり(繰り返しになりますが)、「お金があればなんでもできる」ことをある程度信じられる社会が存在するのは「そういうルールがあるから」でしかないのです。
そして皮肉なことに、盲目的にお金を愛すれば愛するほどお金を集めることばかりに執着し、「お金持ち」にはなれても『資産家』にはなれないのです。
実はお金に恵まれているはずの「資産家」ほど、お金をもつことを恐れるのです。なぜならばお金をもっていてもほとんどお金は増えないし、本当の富裕層は「お金には本当は価値がない」ことを知っているからです。
あなたは「お金には価値がない??」と衝撃を受けるでしょうが、お金そのものに価値があるわけではないのです。そのことはお金が世の中に生まれるプロセスを注意深く観察すれば、すぐに理解できるでしょう。
例えば住宅ローンを借りるとき、金融機関は必ず不動産を担保に設定します。一般の人は「銀行のお金をわたしたちに貸してくれるのだから、わたしたちが住宅ローンを返済できなかった時のために、マイホームを担保に設定されるのもしょうがないことだ。」と考えるでしょうが、金融機関からみた真実はちょっと違います。
銀行からみた真実とは「お金そのものには価値がない。だから本当に価値のあるマイホームに、お金を紐づけることでお金の価値(の一部)を担保する(裏付ける)。」のです。銀行の役割の一つは「信用創造」ですが、お金を生み出すためには「お金の価値を裏付けてくれるもの」(不動産や借用書)が絶対に必要なのです。
資産家は「お金そのものには価値がない」ことを熟知しています。だから資産家はお金をもつことを良しとせず、「お金の価値を裏付けるもの」、言葉を変えれば「本当に価値のあるもの」を手に入れようとするのです。
つまり「本当のお金持ち」≒「資産家」は、お金を手放して(お金を使う)、「お金の価値を裏付けるもの」もしくは「お金を生み出すもの」を手に入れることが上手な人たちのことなのです。その一方で「お金教の信者」は、お金を手放すことができません。なぜならば「お金教の信者」にとって「お金」が一番大事なものだからです。
お金教の信者にとってお金を手放すなんてことは、キリスト教信者にとっては「聖書」を手放すこと、イスラム教徒にとって「コーラン」を手放すようなことを意味しています。実際に日本人のほとんどがお金に価値があると信じて疑うことをせず、貯金ばかりしています。
そして貯金ばかりに熱心で預金通帳に印字された数字を見てニヤニヤしている人たちは「なんといわれようと銀行にお金を預ければ安心」と信じて疑いもしないでしょうが、真実は残酷なもので・・・・お金には「リスクしかない」のです。
日本銀行はインフレ・ターゲットなるものを設定し、物価を毎年上げようと必死になっています。日本だけでなく大抵の先進国ではインフレ・ターゲットを設定しています。
日本銀行は「物価を毎年2%上げる」ことを目標にしていますが、「お金の価値を2%下げる」ことを意味しています。つまりお金にはマイナス2%の負の金利がついているようなものなのです。
繰り返しになりますが、お金には「リスクがある」のではなく「リスクしかない」のです。お金を不動産やゴールドに変えると値下がりする可能性は確かにあるので、ギャンブル的な側面があるのは否定できません。
しかし通貨は持っていると、絶対にその価値が下がるのです。なにしろ、日銀総裁がそう宣言しているのですから、もはやギャンブルですらありません。長期的には「確実に下がる物件」それがお金なのです。
「お金にはリスクしかない」ことを理解したあなたは銀行からお金を引き出したくなるかもしれません。しかし・・・・みんなが同じ行動にでると大変なことになってしまうのです。
1927年、当時の大蔵省(現在の財務省)大臣が「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と 失言したことにより取り付け騒ぎが発生しました。
取り付け騒ぎが発生すると「銀行の取引が停止する」なんてことは、誰でもなんとなくは理解していると思いますが、冷静になって考えてみれば不思議な話なのです。
取り付け騒ぎといっても、「預けた金を返せ!」と言っているだけなのです。本当ならすぐに返せるはずです。それができない理由は・・・・そう・・・・・信用創造の仕組みが最初からそうなっているからです。
さきほど紹介した進研ゼミの「信用創造とは?」に対する回答は、「銀行が貸し出しを繰り返すことによって、銀行全体として、最初に受け入れた預金額の何倍もの預金通貨をつくりだすこと」でした。
よくわからない回答ですがわかりやすくいってしまえば、「この世に存在しないはずのお金(預金)を生み出して、そのお金を他人に貸して金利をとっている」ということなので、そもそも顧客(預金者)に返す現金がもともと不足しているのです。
もしもわたしたちが、取引で同じことをしたらなんといわれるでしょうか?
商品が手元に10個しかないのに「100個ありますよ」といったら、間違いなく『嘘つき』といわれて非難されるでしょうし、それで損害が生じたら詐欺になります。
ところが同じことを銀行がしても合法で、しかも、自分の預金を返せと訴えると、「うるさい!、取引停止だ」と一方的に通告していいのです。なぜこんなことが許されるのかといえば・・・・・
「お金には価値がある」という考え方をベースにした金融システムのほうが先につくられ、法律はこれを守るためにつくられているからです。当然ながら世界中の政府もそのことは了解しています。
政府は銀行側の味方で、銀行の経営が危うくなれば税金を投入してまで銀行を守ります。なんという不条理な世界なのでしょうか?
これまでの話を整理しましょう。
銀行は手元にないお金をゼロから生み出し、そのお金を他人に貸して利子をとり、借金が返済できなければ担保(マイホーム等)を没収します。
そして銀行の多くはゼロから生み出した資金を使って、債権の運用などで稼いでいます。それで損失が出れば、銀行は大きくて潰せないといって税金を投入して債権してもらっているのですから、こんな楽な話はありません。
しかしこのような「本当のお金の話」は、一般の銀行員ですら理解していません。一般の銀行員は、「自分が勤める銀行は、厳重に審査した結果、有望だとわかった人たちに融資した金利で営業している」と本気で信じているのです。
一般の銀行員ですら、お金の本当の意味に気づいていないのですから、ごく普通に暮らしているわたしたちがこれに気づくのはなかなか難しいでしょう。
さきほどレポートの中で『なぜ?「お金の問題」が実は「生き方の問題」であるという当たり前のことを誰も教えてくれなかったのでしょうか?』と質問しましたが、ズバリ答えは・・・・
「お金にはリスクしかない」というのが事実を目の前にしても「お金には絶対的に価値がある」と信じて疑いもしないどころか、「自分がお金教信者である」ことにすら気づいていない大勢の人たちの存在が『世界の金融システム全体』を支えているからです。
しかし皮肉なことですが、お金を後生大事にする『お金教信者』ではなく、『お金教の洗脳から抜け出した人』だけが、「お金に執着」してお金にふりまわされるのではなく、「お金に恵まれる」可能性を手に入れることができるのです。
あなたはこれからも「お金に執着する人生」を歩むでしょうか?「お金に執着する人生」とは、お金がなければ不安になり、お金があれば幸福感を感じるというような、お金を人生のモノサシにするような人生のことです。
それとも「お金に恵まれる人生」を歩むでしょうか?「お金に恵まれる人生」とは、お金そのものに価値はないことを理解した上で、『お金』を『価値あるもの』に替えられる人生であり、いざとなれば『価値があるもの』を『お金』に替えることのできる人生のことです。
お金に恵まれる人生(≒RICH)を手に入れたい方のために、お金に恵まれる原則についてあらためて整理しておきます。
以上、12,000文字ほどのレポートをお届けしましたが、わたしが本来伝えたいことの1%も伝えられていません。もちろん残りの99%以上をあなたに伝える準備はしているので、続きを聞きたければもう少しだけお付き合いください。
日本語には「知らぬが仏」という言葉がありますが、本当にそうなのです。わたしの講義を聞けば、お金の悩みから解放されて、お金に恵まれる人生を歩む可能性は間違いなく高くなると思います。
しかし『問題』のない人生が幸せとは限らないのです。ここが重要なポイントです。多くの人は『問題』≒『頭を悩ませる何か』というイメージをもっていると思いますが、必ずしもそうではないということを伝えたいのです。
そこを理解しないと大変苦しむことになります。それについて確実に理解してもらうためにあえて下ネタからはじめましょう。
わたしが学生の時、友人(男)の一人が童貞を卒業した数年後にこういいました。「童貞の頃に戻りたい」と。友人曰く、「セックスをしたくてもできない苦しみよりも、セックスに夢をもてなくなった苦しみのほうが大きい」のだそうです。
「問題を乗り越えた時の喜びよりも、問題が人生に与えてくれる苦しみのほうが、人生の糧になる」ということは本当にあり得るのです。
例えば頑張って勉強して志望校に合格した受験生のなかには、「これから何をしよう。」と悩む人もいますし、それは仕事、人間関係においてもそうなのです。
極端な話、配偶者のことが大嫌いで「早く死んでくれればいいのに。」と願っていたのに、実際に離婚を成立させたり、配偶者が亡くなってしまうとカラダから力が抜けてしまって元気がなくなってしまったという人もいます。
何も問題を抱えていなくても「毎日生きているだけで幸せ」といった具合に「まったり」生きることができればいいですが、わたしの知る限りにおいて、ほとんどの人は人生に「冒険」や「ときめき」による『刺激』を求めてしまうのです。
つまりわたしが危惧していることは・・・・・「あなたからお金の問題を取り除くことで、逆にあなたを苦しめるのではないか?」ということです。
お金の問題と取り除いたとしても、あなたの人生は続きます。あなたは自分自身の人生にどのような苦しみを与えるでしょうか?
わたしの話を少しだけしましょう。わたしは24歳の時に年収500万円で300万円の借金を抱えました。遊びまくったのが原因です。(若気の至りというやつです。)
当時のわたしにとって借金を返済するもっとも確実な方法は、昇進することでした。外資系の企業に勤めていたので、昇進すれば年収が850万円になることが見込めたのです。
わたしは昇進するために、平日は深夜まで働き、休日も返上して働きました。結果として昇進することができたのですが、めでたしめでたし・・・とはなりませんでした。
昇進して借金を返済のめどがついた瞬間に、働く意欲がガクンとなくなったのです。わたしは自分でも驚くほどに仕事へのやる気を失いました。(その時はじめて気づいたのですが、わたしは仕事が好きなわけではなく、遊んでお金を使うことのほうが好きだったのです。)
そんなタイミングで、当時勤めていた会社の役員に「どうすればあなたみたいに出世できますか?」と質問したのですが、その答えが「借金すること」だったので驚きました。
上司曰く、「自分は東京の世田谷に一軒家を立てた。自分が頑張ったつもりだったが、周りの家はもっと豪華。幼い娘からは『ねぇねぇ、お父さん、うちは貧乏なの?』と心配されて、もっと頑張らなくてはいけないと思った。」とのことでした。
お金の不安は人生を前に進める原動力(エネルギー)になります。ですからお金の不安がなくなれば、『別の何か』を毎日生きる原動力(エネルギー)にしなければいけません。
そして厄介なことに「別の何か」は人によって異なるのです。わたしにとっての問題があなたにとっての問題であるとは限らないのです。『「お金の問題」とは「生き方の問題」』というのはそういう意味なのです。
さらにこういう意見もあります。
「どう生きるか?というのは難しい問題なので、そんなことを考えてもらうよりは、お金の問題に悩み続けてもらったほうがその人のためになるのではないか?」
この意見の真意はこうです。
「老後資金の不安をエネルギーにして働いたり節約する生活」、「住宅ローンの支払いをするために嫌な仕事であってもしがみつく生活」、「消費(ショッピング)で幸せは買えるという幻想を信じる生活」のほうが、「わたしはどのようにして生きるのか?」というはっきりした答えのない問題に向き合い続けるよりも楽なのではないか???という意見です。
あなたはどう思いますか?
わたしはこのような意見に対して心の底から「余計なお世話だよ!!」と思っています。誰が何と言おうが一度きりの人生ですから、自分の生き方は自分で決めたいと思いっています。
もしあなたがわたしと同じように「お金教の信者」や「お金の奴隷」として生きることを拒否するなら、わたしからの情報は役立つと確信しています。
あなたは「お金の信者」、「お金の奴隷」のまま生きることを拒否して、『お金に恵まれる人生』、『お金にふりまわされない人生』を手に入れたいと望むでしょうか?
あなたの答えは「いいえ。」であれば、どうぞご安心ください。あなたが登録したメルマガは、わたしが責任をもって解除します。(このレポートも1週間ほどで閲覧できなくなります。)
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