前回のレポートでは「離婚準備のゴール」について詳しく解説しました。離婚してから「あなたの実現したいこと」と、そのために「達成すべき目標」について確信をもつことが、あなたが離婚準備をする上でまず最初にやるべきことだという話をしました。
やるべきことはシンプルです。しかしほとんどの人が「(あなたの)離婚準備の戦略図」を活用することができません。ほとんどの人が「実現すべきこともわからない」し、「達成すべき目標」がどのようなものであるか想像することすらできません。
旅行に例えるなら「目的地もわからない」し、「目的地にいくまでの手段もわからない」という状況のまま立ち往生してしまうのです。そして立ち往生する時間が長くなると、ほとんどの人が考えることを「メンドクサイ」と思うようになり、「とにかく我慢して今の生活を続ければそのうち状況は好転するだろう」と願うようになります。(まさにカイジ)
そしていつしか「離婚」について考えていたことすら忘れてしまうのです。その結果、あなたには2つの可能性が残されることになります。
【可能性1】:もしあなたの状況が好転すれば、「あの時離婚せずに本当によかった」と過去の思い出を美化するでしょう。
【可能性2】:もしあなたの状況が好転しなければ、「なぜ?あの時、離婚についてもっと真剣に検討しなかったのだろう?」と後悔するでしょう。
つまり「とにかく我慢して今の生活を続ければ、そのうち状況は好転するだろう」と考えることを放棄することは、人生をギャンブルにすることに等しいのです。いわば糸の切れた凧(たこ)のようにコントロールを失った状況で、「上手くいきますように」と神頼みをするようなものなのです。
もしあなたが人生をギャンブルにしたくないなら、、、、もしあなたが糸の切れた凧のようになりたくないなら、、、、、もしあなたが神頼みに賭けるようになりたくないなら、、、、、あなたは主体性を発揮する必要があるのです。
主体性を発揮するためにやるべきことはもうすでに説明しています。他人に何を言われようが、なにがなんでも「実現したいこと」はなんなのか?、またそのために「達成すべき目標」はどのようなものなのか?ということについて毎日考えることを習慣し、その上で「今やるべきベストな行動」を日々積み重ねることが自分で自分を幸せにするコツです。
しかし・・・・・・繰り返しになりますが・・・・・・・「主体性を発揮する」というシンプルなことが、わたしたち現代人にとっては非常に難しいのです。なぜならば・・・
どうしてもわたしたち現代人は、何かに挑戦する前から「それってやる意味あるの?」ということが気になってしまい、結局、「何もしない」という道を選んでしまう傾向があるからです。
一体全体、【何が】わたしたち現代人を「何もしない」という無気力な状況に縛っているのでしょうか?
わたしたち現代人を縛る鎖(くさり)は、実は目には見えません。ですからその鎖に縛られていることすらほとんどの人は気づいていません。
裏を返せば、もしあなたがあなたを縛っている鎖を認識することができれば、あなたはあなたを縛っている鎖から自由になる可能性を手に入れることができるのです。
今回のレポートでわたしがあなたに伝えたいことは、あなたを縛っている目には見えない「鎖」の正体についてです。興味のある方は是非とも最後までお付き合いください。
環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんが、2005年の来日の際に感銘を受けたのが「もったいない」という日本語でした。
ワンガリ・マータイさんが提唱した『MOTTAINAIキャンペーン』を通じて、「もったいない」という日本語は世界中で知られるわけですが、裏を返せば「もったいない」という概念は世界標準ではないということなのです。
では世界標準の考え方とはどういうものなのでしょうか?
答えは「自分の所有物は、煮ても焼いても好きにしていい」という考え方です。実はこの考え方は資本主義そのものの根底にあり、社会学的には「所有の絶対性」という用語で説明される概念です。
「所有の絶対性」を理解する事例としては「黒人奴隷」が挙げられるでしょう。ほんの300年ほど前まで、アフリカ大陸からアメリカ大陸に船で運ばれる黒人奴隷が海に捨てられて殺されたとしても、そのことが殺人罪に問われることはありませんでした。
なぜならば奴隷は所有者のものである以上、所有の絶対性が担保されていたからです。所有者が奴隷を、捨てても、労働を強要しても、売って利益を得ても、それは所有者の自由だったのです。
日本でも「自分の所有物は煮ても焼いても好きにしていい」という態度が炎上に発展することがあります。例えばYouTuberがサイゼリアで大量の料理を注文して残したり、インスタグラマーがデカ盛りの料理を注文して写真だけ撮って残したりすると、「食べ物を粗末にするな!!」と非難されることがあります。
もしあなたが食べ物を粗末にすることに対して嫌な気持ちになるのであれば、それはあなたが「もったいない」精神をもった日本人だからであって、生粋の資本主義者であれば「わたしが買ったものを、わたしがどうしようが、非難される理由はない」といって反論するでしょう。
事実、日本人のなかでも「自分の所有物は、煮ても焼いても好きにしていい」と本気で信じている人もいますし、そのような考え方に違和感をもつ人もいます。例えば某テレビ番組で、明石家さんまが、某テレビ番組でバイキング形式の飲食店では「
なぜ?わたしが「もったいない」の話をしたのかというと、もともとは日本人にとっては当たり前ではなかった「資本主義者の考え方」というものが、現代では一部の人にとっては、あたかも普通のことであるかのように受け入れられているという事実を確認したかったからです。
日本においても、昭和の時代には当たり前ではなかったことが、令和の時代には「当たり前のこと」として誰も疑うことなく受け入れているということが本当にあるのです。そして実は、令和の時代には「当たり前」のことが、あなたを縛る目に見えない鎖になっているのです。ここから先は、そのことについて簡単にわかりやすく説明したいと思います。
現代日本では、わたしたちの周りには「商品」があふれていて、わたしたちは「賢い消費者」であろうとします。では「賢い消費者」であるためには、どのようなことに気を付ける必要があるでしょうか?
「賢い消費者」であることは難しいことではありません。「コスパの高い買い物をし続ける」ことが賢い消費者として認められる秘訣です。ではコスパの高い買い物というのは、どういったものでしょうか?
ズバリ「自分が支出する金額以上に、できるだけ価値があると信じられるものを買う」ことが、コスパの高い買い物をする秘訣であり、「賢い消費者」に求められる行動原理といえるでしょう。
賢い消費者であることを抽象的に説明しましたが、このことは別に難しいことではなく、あなたも日ごろからやっていることでしょう。
例えば「定価15,000円ものする松屋の冷凍食品セットを、Amazonのセールで8,000円で購入する」とか、「夏の暑い日に、のどがメチャメチャ渇いているから、自動販売機で110円のコーラを買う」という行動をしているなら、あなたは買い物に満足しているでしょうし、「賢い消費者」としての自分にある程度は満足していることでしょう。
「賢い消費者」である以上、損した気持ちになることがありません。失敗とは無縁の生活を送ることができます。しかしここからが重要なポイントになるのですが、残念ながら「賢い消費者」であり続けることは、ショッピング(買い物)の世界でしか通用しないのです。
例えば「恋愛」の領域において「賢い消費者」としての態度は通用するでしょうか?
もしかしたらあなたは「そんな馬鹿な質問するな!!」と呆れるかもしれませんが、恋愛しない若者は『先が読めない恋愛をするより、確実に会いに行けるアキバ系のアイドルや声優の方がいい』『恋愛はコストパフォーマンスが悪い』と皆一様に口をそろえるのです。
そう。現代人(特に若者)は、ショッピングだけでなく恋愛にも「賢い消費者」としての態度で挑みたいと考えているのです。しかしそれが不可能な試みであることは明らかです。なぜでしょうか?
ショッピングと恋愛のインプットとアウトプットを考えてみれば、恋愛に「賢い消費者」としての態度が通用しないことはすぐに理解できるはずです。
例えば自動販売機にお金を入れれば(インプット)飲み物がすぐに出てくるし(アウトプット)、Amazonでショッピングをすれば(インプット)当日中に商品が自宅に届くこともあります。(アウトプット)
しかし素敵な異性と恋愛しても(インプット)、その帰結は誰にもわかりません。例えば高価なプレゼントをしても(インプット)、相手が辛いときに優しくしても(インプット)、永遠の愛を誓い合ったとしても(インプット)、裏切られることだってあるのです。(アウトプット)
もし恋愛の領域においても「賢い消費者」であろうとすれば、恋愛がうまくいかない場合にはさながらクーリングオフをするように「今まであなたに使った時間とお金を返してほしい」と相手に要求することになるでしょうが、そんなことを主張すれば「わたしは商品じゃない!!」と反論されるのがオチでしょう。
今回のレポートで伝えたかったことは、あなたを縛る鎖の正体はズバリ「消費者マインド」だということです。現代では損得に敏感な人ほど「消費者マインド」にどっぷりとつかっているのですが、本人ですらそのことを自覚していません。
例えば日本人が物理や化学の分野でノーベル賞を受賞するたびに、「あなたの研究にどのような意味があるのですか?」ということを質問するのがお決まりになっていますが、一般人が納得できる「意味のある回答」が得られることはほとんどありません。
このような態度は大学生にとっても当たり前になっています。大学に入学してどの授業を受けるか決めるために、「あなたの授業のテーマである●●を学ぶことにどのような意味がありますか?」という質問をするひとがたくさんいます。
そのような質問をした結果、学習する意味が「ある」と思えばその授業を受講するし、学習する意味が「ない」と思えばその授業を受講しないのです。そう。つまり学生にとって勉強することは「買い物」であり、大学で勉強することは「商品」になっているのです。
もちろん学生からすれば「高い授業料を支払っているのだから、少しでも学習効果を高めたいと思うのは当然だ!!」という気持ちにもなるでしょう。
しかし残念ながら本来の教育において、勉強する前からその意味を理解できるなんてことは原理的にあり得ないのです。なぜならば勉強する前からその意味を理解できるなら、そもそも勉強する意味なんて「ない」からです。
とはいえ、日本の大学を消費者マインドをもったまま卒業することは可能ですし珍しいことでもありません。就職活動のエントリーシートに「自分の長所(ウリ)」として「最小限の努力で最大限の結果を出す」ことすなわち「最小限の努力で単位をとって卒業したこと」を堂々と書く学生もいるぐらいです。
しかし社会にでると「消費者マインド」の弊害に少しずつ直面することになります。例えば「労働」において「消費者マインド」を当てはめるとどうなるでしょうか?
ズバリ「働くのが馬鹿らしい」ということになります。なぜならば働くことに費やした労力(インプット)と賃金(アウトプット)を比較したときに、どうしても「貴重な生命時間を費やして働いた結果としては、賃金が少なすぎるのでは??」という気持ちになってしまうからです。
労働の場ではほとんどの場合、「努力(インプット)>>成果(アウトプット)」の構図から抜け出すことはできません。なぜならばグローバル資本主義においては、労働者が搾取されないと企業が利益を出して成長することが難しくなっているからです。
恋愛、教育、労働、などそもそも最初から「消費者マインド」を当てはめることが見当違いの領域にまで「消費者マインド」を当てはめると、損している気持ちになりやすくなり、その状態が続くと「自分は負け組だ」という気持ちが強くなり、一発逆転を狙える「何か」にすがりたくなる一方で、長期的な目線で「自分がどうしても実現したいこと」のために頑張る気力すら失ってしまうのです。
あなたは「消費者マインド」という目に見えない鎖に縛られていないでしょうか?
もし「消費者マインド」に縛られているなら、あなたは「離婚」についても「損得」≒「メリット・デメリット比較」≒「できるだけ損をせずに離婚したい」という気持ちに囚われて、結局のところ「何もしない」という道を選ぶでしょう。
なぜならば、あなたは否定するかもしれませんが、結婚生活にもメリットはあるからです。ですから「損をしたくない」という気持ちが強ければ強いほど、あなたのなかの「離婚したい(が損はしなくない)」という気持ちは大きくなり、「不安だらけの結婚生活」はこれからもしばらくは続くことになるでしょう。
「不満だらけの結婚生活」に終止符をうつためにはどうすればいいのでしょうか?
あなたが結婚生活に抱いている『理想』を諦められるまで、ひたすらいろいろなことに耐え続けて、後戻りできなくなるまで年齢を重ねる・・・・という後ろ向きな方法もあります。しかしもっといい方法があるのです。(続く)