不満はないけど離婚したい!!どうすればいい?(メルマガ会員限定)

不満はない 離婚したい

配偶者に不満はないけど「離婚したい」という人は多いようです。

しかし「不満はないけど離婚したいのですが・・・」と弁護士に相談しても「離婚事由(離婚できる理由)には当てはまらないですね。。。」などとお茶を濁されるだけしょう。

厳しい現実を目の当たりにした時、一般的には2つの選択肢があります。

1つ目の選択肢は「愛のない夫婦生活を正当化する婚姻制度はクソだ!」と不満を抱え続ける。

2つ目の選択肢は「配偶者が離婚に応じなければ無理やり離婚する理由をつくる(長期間の別居)」などの対策をすることです。

しかし、、、、もう一つの選択肢がないわけではないのです。

不満を抱え続けるのでもなく、強行突破するわけでもない、、、、第3の選択肢とは?????

興味がある方は最後までお付き合いください↓↓↓↓

昼顔

上戸彩さん主演の「昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜」というドラマがありました。

上戸彩さん演じる木下紗和(旧姓:笹本)は、「これ」といった理由があるわけではないけれど、結婚生活に満足していませんでした。

ハラハラドキドキしながら昼顔を視聴していた方も多いと思いますが、エンディングはどうなったかというと、、、、、木下紗和は旦那と離婚し、引っ越してパートも辞め、新しい仕事を見つけるという話で終わりました。

斎藤工さん演じる北野裕一郎と結ばれることはなかったことに、「がっかりした」という人も多かったのではないでしょうか?(男性なら「ほっとした」?)

しかしあのエンディングは「しょうがない」のです。

なぜならば、「不倫相手と幸せになりました!」というエンディングで終われば「昼顔というドラマは不倫を肯定しているのではないか?」とか「公共の電波で不倫を肯定していいのか?」などのクレームが殺到するのは明らかだからです。

しかしドラマ版昼顔の「続き」として上映された映画版の「昼顔」は、なんとも刺激的なストーリーになっています。

映画版の「昼顔」では、上戸彩さん演じる木下紗和と、斎藤工さん演じる北野裕一郎さんは再会し、紆余曲折の末に結婚する道を選びます。

「やっぱり愛する人は一緒にいるのが自然でしょ?」と、ドラマ版昼顔で達成できなかったストーリー展開に胸をなでおろした人もいたかもしれませんが、ハッピーエンドで終わらないのが映画版昼顔の奥深いところです。映画版昼顔のラストは「悲劇」で終わるのです。(悲劇の内容はネタバレになるのであえて割愛しますね。)

以上の話をまとめましょう。

ドラマ版昼顔は、放送法に影響されるテレビという枠内での表現だったがゆえに、「法律(結婚制度)を破っても幸せは保証されない」というメッセージを残します。(木下紗和は離婚後、遠い土地に引っ越して経済的には恵まれない生活をする!!)

その一方で映画版の昼顔では、放送法に影響されない映画の枠組みのなかでの世界であるがゆえに、「法律の外側(不倫)にある享楽(真実の愛)の追求もありえる」というメッセージを残します。(北野裕一郎は妻と離婚を決意し、木下紗和と結ばれることを望む。)

しかしメッセージには続きがあるのです。映画版昼顔のラストで描かれる悲劇から、わたしたちは「社会はそもそも渾沌とした何が起こるかわからない世界の上に成り立っている。もしあなたが率先して法律を破るなら、世界からの脅威が直接降りかかるリスクがあることも忘れるな。」というメッセージを受け取るのです。(映画版昼顔のラストの「悲劇」がまさにそれ。)

つまりこういうことです。

「あなたは渾沌とした世界をどう生きるのか?結婚生活に不満はあるかもしれない。でも結婚制度に従順なほうが、渾沌とした世界から身を守り、平穏な暮らしができる可能性は高い。但し、平穏な暮らしが幸せとも限らない。

もしかするとあなたは「昼顔はそこまで真剣な話ではないのでは??」と思うかもしれません。しかし実は『映画』の世界では、映画版昼顔よりもはるかに過激なメッセージを放つ作品も多いのです。

ここ数年の映画では、「どうすれば生きづらいクソ社会(婚姻制度含む)のなかで幸せになれるのか?」という問題提起と、その対応策が繰り返し表現されています。

3つの選択肢

本記事は映画評論ではありませんから、「生きづらい社会をサバイバルするために、どのような選択肢があるのか?」という点だけをあなたにお伝えしたいと思います。

#1 ロマンチスト

現代における「愛」において、「見ず知らずの他人を運命の人とみなす作法」は大前提になっています。

ですから運命の人を「ただの人」とみなせば「愛」は崩壊します。昼顔の場合、木下紗和は夢から醒めていましたが、旦那は夢から醒めていませんでした。

つまり妻は「現実的」な存在である一方で、旦那は「ロマンチスト」でした。

妻は現実的であるがゆえに旦那に期待していなかったのに、旦那はロマンチストであるがゆえに「理想の妻」をひたすら追い求めるのです。妻の裏切りが発覚してからも、旦那は妻を「理想像」のなかに押し込めようとします。

おそらく木下紗和は、自分の感じている「言葉にできない不満」を旦那がほんの少しでも理解してくれたら、北野先生(役:斎藤工)にハマることはなかったと思います。しかし旦那は妻に寄り添うどころか、「お母さん」に寄り添うのでした。

「現実的な人」と、「ロマンチスト」は共存することができません。水と油のような関係です。

ですからあなたの配偶者がロマンチストなら、あなたもロマンチストになるしかありません。

具体的には「夫婦関係が冷え切っても、壊れても、それは一時的なことでしかない。『雨降って地固まる』という言葉があるように、最後はハッピーエンドで終わる。」と信じるのがロマンチストです。

女優の樹木希林さんは、内田裕也さんと何十年も別居していたのに最後まで離婚しませんでした。あなたは樹木希林さんのマネができるでしょうか?

#2 強い存在になる

婚姻制度は民法に規定されたルールですから、ルールを破ったからといって刑罰を受けるわけではありません。

極端な話、生活に困らないのであれば今日家を飛び出すことも不可能というわけではないのです。

離婚問題の場合、「配偶者が離婚に応じないから」という理由で別居を決断する人だっています。

すぐに離婚は成立しないかもしれませんが、別居を開始してから1年、2年、3年と時間が経過すればするほど、裁判で離婚が認められる可能性は高まります。

しかし夫婦の義務(扶養義務や同居義務)を無視するということは、「一人で強く生きていきます。」という意思表示であることは見過ごしてはいけません。

もしあなたに仕事があり、収入があり、住む家があり、助けてくれる仲間がいるなら自由を楽しめるでしょうが、もしそうでないなら、離婚により逆に不自由を味わうはずです。

女優の米倉涼子さんは、結婚してから3か月で別居を開始し、その約2年後には協議離婚を成立させました。

またZOZO TOWNの創業者「前澤友作」さんには血のつながった子どもがいますが、結婚しておらず女優と交際しています。

あなたが楽しめる自由の程度は、あなたの能力によって決まります。あなたには理不尽な世界を一人で生き延びるサバイバル能力がありますか?

#3 なりすます

もしあなたが「見ず知らずの他人を運命の人だと信じるなんて無理でしょ?」と考えており、なおかつ、「一人で生き延びるほどの能力もない」ことを自覚しているのであれば、おススメの方法は「なります」です。

「なりすます」とは「結婚生活に高すぎる期待をしても無駄」と割り切る態度のことです。とはいえ「なりすます」ことは、「幸せになることを諦める」わけではありません。

ヒントは「お見合い結婚」です。

日本においても1960年代後半までは「恋愛結婚」よりも「お見合い結婚」のほうが主流でした。

しかしお見合い結婚した夫婦は「不幸」だったのでしょうか?いえいえそんなことはありません。

現代の「恋愛結婚」では「結婚する前に愛を育む」のが推奨されていますが、「お見合い結婚」では「結婚した後から愛を育む」ことが推奨されていました。

つまり「お見合い結婚」の時代、「愛」と「結婚」には何の関係もないどころか、結婚は権利分配(遺産分配)のための制度であることは常識でした。

しかし現代人は「結婚」≒「愛」という図式を信じて疑いもしません。むしろ「結婚」は「愛」を買うための手段になっています。

例えば「わたしを愛しているなら結婚して!」とか、「わたしはあなたを愛しているのだから、あなたもわたしを愛して!」という要求にも、現代人は違和感を感じないはずです。

しかし「愛に『結婚』という名の値段」(わたしを愛しているなら結婚して!)をつけたり、「愛は交換可能なもの」(あなたもわたしを愛して!)などと理解するような態度には、わずか50年程度の歴史しかない(1960年代後半~)ことは覚えておいて損はありません。

「愛」に値段がつけられて、なおかつ交換可能なものになった結果どうなったでしょうか?

ズバリ「愛がないから離婚したい」と希望する人が珍しくなくなりました。(もしあなたが不満はないけど離婚したいと希望するなら、あなたもそのうちの一人かもしれません。)

お見合い結婚の時代は、愛というものは何気ない結婚生活の日常の積み重ねでしか構築できないという共通感覚がありました。ですから「愛」なんてものは、結婚当初には「ない」のが当たり前だったのです。

しかし現代人は結婚生活に愛を期待し、愛を期待するがゆえに、「こんなはずじゃなかった。」となんだか裏切られた気持ちになっているのです。

どれだけ「愛」を期待しても、男性は妻のATM、妻は旦那の家政婦のような扱いをされて、「こんなはずじゃなかった感」はますます強くなっていきます。

お見合い結婚の時代は、「自分は好きな人と結婚したわけじゃないけど、それは相手も一緒である」ことはハッキリしていました。だからこそ「こんなわたしと結婚してくれてありがとう。」とお互いを尊重し感謝することが自然なふるまいだったわけです。

しかし現代人はそのような『前提』を共有していません。あなたは配偶者に感謝しているかもしれませんが、配偶者があなたに感謝してくれる保証はどこにもないのです。

しかも恋愛結婚においては、残念な結婚相手を選んだのは家族ではなく「自分」なのですから、誰かに責任転嫁することもできず「ツライ」わけです。

実はわたしの両親も「なりすます」型の夫婦生活を送っていました。

絶対に離婚してやる!

わたしが子どもの頃、母は「あなたが大人になったら絶対に離婚する!」と涙を流しながら主張していました。

時は流れて、わたしが高校生になった時、今度は父が「お願いだから離婚してくれ!」と母に土下座しました。

それからもいろいろなことがありました。

母が「わたしは家政婦じゃないんだよ!」と発狂したこともありましたし、父は小遣いの金額すら自由に決められない不自由さにいつも不満そうな顔をしていました。

結果、驚くべきことですが、、、、わたしの両親は離婚していません。。。。わたしにとっても「予想外」の展開です。

さらに予想外なことに、子供のわたしの立場からはうかがい知ることのできない「夫婦の絆」のようなものを感じる瞬間すらあるのですから、もはや「意味不明」です。

「夫婦のことは夫婦にしかわからない」という言葉がよくつかわれますが、本当のそのとおりなのかもしれません。

何がいいたいのかというと、不満だらけの夫婦生活であってもその先に、「愛のようなもの」が生まれる可能性もあるということです。(嘘のような本当の話です。)

最後に

一般的に現代では、「愛」は結婚する前に手に入り、それは「永遠のもの」だと信じて疑わない態度こそが推奨されています。

あなたは現代の「愛」と、わたしの両親を含めた「1960年後半以前の夫婦」にとっては常識だった「愛のようなもの」のどちらを信じますか?

最後に。今回わたしが説明したことをスムーズに理解できなかったかもしれませんが、実はそれも「しょうがない」ことなのです。

なぜならば、そもそも「愛のようなもの」は、言葉で説明できるようなものではないからです。

もしあなたが「愛のようなもの」を直感的に理解したければ、「映画」を観ることをおススメします。

おススメ映画は、別のブログにまとめていますので、興味があれば是非ともチェックしてください↓↓↓↓

参考

愛を楽しく学べる映画集RICH TODAY

また本記事でサッと解説した「愛の歴史」についてもう少し詳しく知りたい方は、以下の記事をチェックしてください↓↓↓↓

参考

学校では教えられない「結婚」と「愛」の真実離婚準備なう。