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愛がないので離婚したいのですが?

愛がない 離婚

「愛情がないので離婚したい」という人が多いので、愛と結婚について整理しておきたいと思います。

そもそも結婚とは?

実は「結婚制度」は「愛情」から生まれたものではないことをご存知でしたか?

結婚制度が始まったのは長い人類の歴史の中でも定住生活をスタートさせた約4,000年前からであるというのが法人類学の常識です。

しかしそのあたりの事情は一般的にはあまり知られていないのでざっくりと結婚制度がはじまるまでの経緯について一言で説明すると、以下のようになります。

人類が定住生活をスタートさせることができたのは収穫物を蓄積することができるようになったからであり、収穫物の保存・配分・継承のために『所有』の概念ができ、所有を保護するために『法』ができた。

ここでいう所有とは「使っていなくても自分のもの」という観念であり、この所有の概念が、物だけでなく人にも適用されたものが「結婚」というわけです。つまり「結婚制度」がはじまった当初は、結婚と「愛」には何の関連性もなかったのです。

日本でもお見合い結婚が盛んだった頃は、「愛があるから結婚する」のではなく、「愛は結婚をしてから育むもの」という理解が一般的でした。

ですから「愛がないから離婚する」という発想もあり得なかったわけですし、むしろ「愛は法律(結婚制度)の外にあるもの」と考えられていました。

現代でもフランスでは「結婚」と「愛」は異なるものと認識されていますし、結婚しないからといって愛がないわけではありません。

例えば人気絶頂の時に、F1レーサーのジャン・アレジと事実婚と妊娠を発表した後藤久美子さんは現在でも事実婚の状態を続けています。

しかしだからといってジャン・アレジさんと後藤久美子さんの間に愛がないかといえばそんなことはないでしょうし、むしろ「結婚しないのに一緒にいる」ことがなによりも愛の証明になっているのではないでしょうか。

現代日本に住んでいるとあまり意識することはないでしょうが、「結婚≒永遠の愛」というイメージは戦後しばらくしてから定着したものであり、作家の「ラフカディオ・ハーン」(日本名:小泉八雲)にいわせれば戦前・戦時中の日本は「性愛の天国」だったそうです。

つまり日本人のほとんどが抱いているだろうイメージ・・・・「結婚」≒「愛」≒「永遠」・・・・という考え方はフィクションであり、もっといってしまえば「思い込み」であり、そう信じているからこそそれが真実に思えるという程度の根拠に乏しい概念でしかないのです。

以上の歴史的な経緯を踏まえれば、「恋愛して結婚しそれを死ぬまで一生続けるというような生活スタイルは、過去の人類が誰も成しえなかった挑戦」なのです。

日本人は過去の先人が誰も成しえなかった偉業・・・・すなわち結婚と愛を同一視しそれを一生続ける・・・・という社会を構築できるでしょうか?

最後に

本記事の内容を踏まえると、「愛がないので離婚したい」と主張する人が「愛」だと思っているものは実は本当の『愛』ではない可能性に気づけるのではないでしょうか。

残念ながら結婚制度がなければ成り立たないような愛は、本当の愛ではありません。「結婚したら愛があることにしましょうね。」というような約束は、一般的には「契約」といいます。

ではそもそもの愛とはなんでしょうか?

そもそもの愛とは「一方的な贈与」であって、「愛してくれたらわたしもあなたを愛するわ」という交換を前提にしたものではありません。「一方的な贈与」ということがわかりずらければ、古き良き日本の田舎の人間関係を想像するとよいでしょう。

田舎の人間関係においては、現在でも「こんなに親切にしてくれなくてもいいのに!!」というほど親切にすることも珍しくありませんが、親切にしてくれたからといってその場でお金を支払うわけではありません。

ではどうするのかというと、親切にされた人はまた別の機会に「こんなに親切にしてくれなくてもいいのに!!」と思われるようなことを他人に対してやるのです。そうした一方的な贈与の連によって共同体は成り立っているし、「夫婦愛」というものがあるとすれば、そういったものなのではないでしょうか。

「わたしを愛してくれたらあなたを愛するわ!」というような交換を前提にしない「一方的な贈与」の連鎖が愛なのです。あなたは(本当の)愛を育むことができるでしょうか?